忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

「語彙力⇒読解力⇒理解力⇒記憶力」

バカは先入観で物事を決めつける。

なんでもだ。

例えば、倫理の勉強をしていれば、

一神教ではなく世界宗教」「多神教ではなく民族宗教という説明が教科書に必ず出てくる。

教師の板書でノートにもしっかりと取らされたはずだ。

そして、授業ではおそらく一神教でもローカルネット的な役割を持つ側面があり、多神教でも暴動や殺戮で押し付けをした過去がたくさんあり枚挙にいとまがない」というふうな説明があるはずだ。

少なくとも、授業をある程度聞き、教科書を読んでいればそう理解できる。

誤解されては困るが、私は一神教信者でも主義者でも何でもない

しかし、そうとしか認識できない人が実に世の中に多いのは指摘しておきたい。

私が高校で理系クラスだったとき、倫理(思想や宗教に関する内容)が苦手な友人がいた。

テスト前に毎回説明して私が直接教えていたが、どうも彼の理解のレベルが毎度のことながら幼稚なのだ。

「社会は魔王=悪いやつがいて、勇者=善いやつが成敗する」というレベルの認識しかしていないことに、途中で気づいた(本人も何度もそう言っていた)

教えている度に、口答えのような文句が度々返ってきて、「なぜ、そんなにひねくれているんだ」という話をしたこともあるが、どうやら常にそういう感じなのだ。

 

「社会は暗記科目だから意味ない」みたいなことを主張する、「自称暗記苦手自慢人」みたいなやつが、世の中には嫌というほどいる。

かくいう私も、小さい頃は暗記不得意だったが、ある時の経験を境に超得意になったのだ。

実は、暗記が得意なやつは理解力が段違いということだ。

つまり、いきなり記憶の作業をする前に、しっかりと理解してから学習を重ねれば、ど忘れのような現象も無くなるので成績は下がらない

ここに気付けない人が、実に多いことにも気付いた。

記憶は理解の度合いに比例する。

理解してないものは記憶出来ない。

つまり、暗記試験で理解度を測るのは実際に正しいのだ。

要するに、「覚えられない=暗記が苦手」ではなく(本人もそう主張していた)、単に「理解の度合い、理解力が低い=読解力が低い」みたいな問題だったという話である。

つまり、「語彙力が低い」にまで問題が還元されることになる。

だから、本人には解説といいながら、実際には毎度のことのように授業や教科書に出てきた語句の意味の説明を丁寧にしていた

それを、毎回重ねた結果、ある時期から実際に彼の成績も急に伸びたのが印象に残っている。

 

学習とは、要するにどんな分野でも「語彙⇒読解⇒理解⇒記憶」の段階を踏む。

「無意識にいつでも再現できる」というのは、最後の「記憶」のレベルという話だ。

語彙力⇒意味と定義の対照と対応

読解力⇒語彙を重ねて意味を読み取る、文脈を整理

理解力⇒全体の趣旨、細部と全体の関係とレベルの把握

記憶力⇒論理の理解や再現性、類似分野との比較能力

みたいに要素と段階が分かれている。

そして、この話のいちばん大事な部分は、実はいちばん最初の語彙力=定義の理解であるということだ。

世の中には、定義をいい加減に説明する人が実に多い

「理解力=全体の趣旨把握」を強調する教師が世の中には多いが、実はあまり意味がない

全体理解は誰でも出来るからだ。

英語が苦手な理系国公立大志望の子も教えていたことがあるが、彼は私にいつも全体の話の理解の話ばかりしていて、語彙のレベル向上には極めて無頓着だった

二度とは出ないであろう出題英文の趣旨をいくら理解して説明出来たとして、まったく意味がないのにだ。

英文の内容をいくら理解しても、英語の読解能力が向上するわけではない

読み取りの際に動員する、ベースの知識量と運用方法が大切なのに、いつまでもそこに気付けない。

あるいは、苦手意識のある英語に対する、彼なりの「一種の現実逃避」だったのかもしれない。

結局、私は単語や語彙レベルの指摘をし続けていたのだが、彼は語彙暗記に心理的抵抗が強く、英語が苦手なままで受験になってしまい、第一志望の国公立には受からなかった。

中には、相手に眠い態度をされることを厭って、全体の話ばかりしたがる愚かな教師もけっこう多いが、私はそういうことはしなかった。

生徒におもねるのは、教師の決定的な能力不足だ。

語句レベルでの定義の話は、実に退屈極まりないと思い込む指導者は多いが、教師がちゃんと分野の実相を理解していれば、定義の話は実に面白い

そういう分析や研究をきちんと出来ない人が実に多い。