やらない理由とやれない理由はいくらでも探せます。
これをやることで少しでも良い方向に変わるということを、理由をつけて避けたり、やらない選択をするのは誰にでも出来ます。
いわば批判ばかりの三流政治家みたいなもので、言い訳ならば小学生にでも出来ます。
また、日本には古くから「お上に逆らってはいけない」という文化があり、何かを出来ない理由に「上がイヤな顔をするから」というものがよくあがります。
「顔を立てる」という言葉のとおり、「上が不愉快になる言動を遠慮して慎むべきだ」「それが配慮だ」などと多くの人は考えがちです。
しかし一方で、上が間違った言動や判断をしている例は古今東西、枚挙にいとまがありません。
日本はかつて負けると分かっていても、外交上の失策から太平洋戦争に踏み切らざるを得なかったわけです。
また、最近では原発事故の責任を取らなかった政治家や大企業経営陣、ここ数年では全国各地のいじめ事件で政治家と教育委員会が結託して隠蔽工作が発覚、 東京都のWBPC問題…など、いまだにおかしなことをしては、非難されるべきところを逃れ、のうのうと生きている人たちが世の中には沢山います。
そして、言うべきことをその場できちんと強く主張しない国民が、彼らの存在を許してしまっているわけです。
そうしたやらない理由や、やらない理由を探して、そこに甘んじて許してしまっているからこそ、こういう人たちが際限なく出てきてしまっているわけです。
ということで、おかしいなと思ったら臆せずきちんとその場で主張しましょう。
私が見る限り、SNSで言いづらい意見を言うのをほとんどの人が遠慮しすぎです。
イエスマンばかりでは物事が良くなりようがないですし、それを続けるなら、それこそ都合の良い存在だけを肯定するだけの既得権となんら変わりありません。
肯定するのは気分は良いでしょうが、情報量はゼロです。
言いづらいことにこそ大事なことが含まれているのに、それを感じていても、表に出して言わないのないなら、まったく意味がないと私は思います。