「推しの子」論争でSNSがなにかと紛糾気味ですが、
ユーザー、いわゆる消費系オタク(「メディアが言う一般的なオタク」)と、
クリエイターの意見が異なる場合が出ているようです。
私は何度も言いますが、クリエイターと消費系オタクというのは、まったく別の存在です。
言ってみれば、狩人と羊のように対照的な立ち位置なのです。
要するに、クリエイターは消費系オタクが何を思うかくらい、当然すべて掌握しているということです。
さて、クリエイターが「推しの子」を観て、心を痛めた被害者の母親がいたときに、
「この作品は下手だった」と反省するのが一般的な態度です。
というのも、エンタメを提供するのがクリエイターの仕事である以上、
「誰かを傷けて面白がる作品」は「最低位」の評価に位置するからです。
しかし、消費系オタクは「面白ければOK」という人が一般的なため、
「多くの人が面白いと評価しているから面白いはず」という「他者の評価」を気にして鑑賞します。
なので、他人が面白いと言っているものは、面白いと思い込むのが消費系オタクの特徴なのです。
好きな作品を攻撃されると、やたら腹を立てる厄介オタクが多いのも特徴ですが…。
なので、「誰かが傷付こうが、これは作品とは関係ない」という主張が一般的です。
さて、私はクリエイターですが、個人的にはどちらの意見も理があると思っています。
一方で、「面白いだけ」の作品に価値はないですし、「誰かを傷付けて」面白がるというのもおかしいと思っています。
しかし、たとえばフェミニストが月曜日のたわわ広告を観て、「取り下げろ」というのはおかしな話です。
具体性が個人の体験によるため、一律に「勝手に傷ついた」としてしまえば、表現の自由の侵害になるからです。
クリエイターも当然、ここが難しい問題なのは充分に分かって作品を作っています。
映画『ジョーカー』が、放映するべきか各国で問題になったのと同じです。
※私個人は「すべて放映すべき」という思想ですが、世の中にはTwitterなどSNSで分かる通り、知的ボーダーや偏った思想の人が、実際にはかなりたくさんいるのが現実です。
※どう観ても真似したでしょ…という模倣犯は出るものです。もっとも、もともと犯意があった人が、たまたま模倣する着想を得ただけ…という場合がほとんどでしょう。
※近年では、戦争ゲームで犯罪率は変わらないという研究結果も出ていますので、単なる思い込みの問題の場合も多いです。
※しかし、リアリティーショーがどうなのかについては、研究結果が出ていないのでよくわかりません。自殺者が50人出たという話がすでにあります。
なので、少なくともリアリティーショーの被害者の母親が「傷ついた」と主張されれば、それは「作品としては下手(※注釈参考)」とは、評価せざるを得ないのです。
良い作品ならば、「視聴体験」として作品全体に一定の評価がなされるはずです。
※特定の誰かが傷つくのと、視聴者全員が傷つくのでは、意味がまったく異なります
しかし、SNSで「賛否両論」なのをみる限り、やはり方向性が明確に打ち出し切れていない点では、「作品が下手※」という評価になるでしょう。
※注釈について
見せ方や展開のしかたが上手ではないという意味です
ストーリーの展開か、ネームの切り方か、レイアウトが下手か、作品メッセージが弱いか…分かりませんが、そういう評価になります。
漫画作品の25話のセリフが当該リアリティーショーの発言とまったく同じだったと、被害者の母親から指摘が出ています。
これが事実なのか確認はしていないものの、仮にそうだとすれば、やはり作品の作りが「甘い」と評価せざるを得ないです。
作品の作り方として、「特定の誰かが傷つくことがないように配慮する」というのは、大前提の話であり、その原因は作家なのか、それともそれを通した編集部なのか、いずれにしても確認せねばならないと思われます。