忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

本ブログ著作権について。

本ブログの閲覧者には、必ず認識をしていただきたい話があります。

それは、著作権法についての話です。

①最近、ネットで多くの人が簡単に自分の意見を発表しやすくなったせいで、著作物に関する認識が軽視されがちな風潮にあります。

私=忍者が発表しているこの無料ブログも同様に、「忍者」が発表、公表している著作物である以上、著作物としての権利が発生しています。

したがって、本ブログ内容を他人が勝手に営利活動に流用、悪用と思しき行為を発見した場合、ただちに法的措置を取らせていただくことがあります。

あらかじめご理解ください。

②以下、具体的事例について記載します。

・本ブログ内容を無断で他人に共有または販売、営利活動等に利用する

・本ブログ内容の一部そのままを利用して加筆し、作品や頒布物として公表、販売、営利活動等に利用する

・本ブログ内容をそのままコピーして、作品や頒布物として公表、販売、営利活動等に利用する

この場合、本ブログ内容を無断複製、共有、譲渡、転載ということで、著作権法違反となります。

法的措置を取らせていただくことがあります。

③また、第三者が見ても同一内容と思われる本質的な内容類似性がある場合、同様に著作権法違反の可能性があります。

こちらも法的措置を取らせていただくことがあります。

以上、あらかじめご理解ください。

※著作権侵害は犯罪です。

著作権、出版権、著作隣接権の侵害は、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金、著作者人格権、実演家人格権の侵害などは、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金などが定めれれています。

また、法人などが著作権等(著作者人格権を除く)を侵害した場合は、3億円以下の罰金となります。

さらに、私的使用目的であっても、無断でアップロードされていることを知っていて、かつダウンロードする著作物等が有償で提供・提示されていることを知っていた場合、そのサイトから自動公衆送信でデジタル録音・録画を行うと、2年以下の懲役若しくは200万円以下の罰金が科せられます。

なお、「懲役刑」と「罰金刑」は併科されることがあります。

www.cric.or.jp

2022年11月3日 忍者ブログ管理人、著作人 「忍者」より。

現在地と総括。そして抱負 2026秋

■2024年~2026年の軌跡

2024年で記事が止まっているので更新します。

まず、2024年から2025年では、

ninjya-ninnin.hatenablog.com

に書いてある記事内容を、徹底的に意識しつつ反復しました。

一瞬で絵のポイントを見抜けるようになったり、トレスでも自分の表現として(本当に微妙な違いとして)出来るようになりました。

ここまで画力が向上すると、もはや何についても理解できるようになります。

理解できるということは、自分に取り込めるということです。

 

理論の習得(パース、空間、人体)が、いかにして「絵」にとどまらず「動き」や「物語(自主制作・アニメーション)」の構築へと接続するかです。

練習において明確な手応えがあったのは2025年です。

そして、2026年の2月下旬から、インプット(理論・練習)からアウトプット(作品制作)へ移りました。

「本格的な練習を終えた」と行っているのは、それが理由です。

 

■理論と鍛錬から実践(制作)への接続

たとえば、2024年の記事に

・印象と立体[⇒空間]の整合性を両立させる

  ⇒印象を決める要点を外さず、立体感を失わず、空間までを整合的に構築する

・本物感を出す

  ⇒有名、良い原画の分析をする

   ◎特徴を分析して吸収したうえで、描いて再現してみる訓練をする

・動きの前提を意識した絵として描く

  ⇒時系列が存在すると仮定し、絵の前後はどういう形か考える

   ※ただし、空間と印象の成立が前提

とありますが、これは引き続き意識しつつ、オリジナル作品の制作に取り組んでいます。

 

■2026年2月下旬からの現在(9月25日)までの成果

漫画、アニメ、イラストとすべてやりたいと言うのは以前から言っている通りですが、それが自分の絵の魅力や表現力の強烈な源泉になっている一方で、一つに絞りきれないというのは、非効率という意味で弱点でもあります。

そして、いつまでも趣味~セミプロのレベルとして続けるわけにもいきませんし、そこで終わるつもりは毛頭ありません。

何より、練習を開始した5年以上前の時点から、当初の目的はそのレベルからの脱却でした。

事実、練習開始以前の段階では明らかな実力不足が否めず、やっていてもいずれどこかで行き詰まることが容易に予想出来たからです。

ですが、練習の甲斐あって、並どころか上位プロよりも、自分のほうがもはや上手な自信があります。

ただし、若くはないので戦略的に取り組まねば、すぐに詰んでしまいます。

 

そこで、漫画から取り組むことにしました。

まず、2月に漫画の設定資料を作り、ネーム(とはいえ、そのまま清書して完成原稿にできるくらいのクオリティで)を制作しました。

しかし、シナリオが不十分と指摘を受け、シナリオの勉強をし、それをネーム表現と接続させるように意識しました。

その後3作品のネームを仕上げ、某大手出版社編集部から非常に好評を得るに至りました。

拙作では、やはり絵の力が非常に大きいようで練習の甲斐がありました。

 

その経験を踏まえ、8月下旬から本丸であるアニメ制作に取り組んでいます。

どうしても、

・動きの前提を意識した絵として描く

  ⇒時系列が存在すると仮定し、絵の前後はどういう形か考える

   ※ただし、空間と印象の成立が前提

は、漫画でも表現出来ましたし評価されましたが、アニメのほうが表現する内容は広く自由度は高いです。

アニメ制作では、線画の状態でカットをどんどん描いて繋ぎ、尺を長くしつつ作品を創っていくという方法を取っています。

このアカウントは練習、思考整理や言論が目的のもので、制作については新規に作成した別アカウントにて投稿しています。

 

■今後の抱負(2026秋〜)

アニメ制作を成功させることですが、非常に面白いと同時に、難しさを感じることもあり手応えを感じています。

以前なら、困難で挫折していた局面も、練習を長年積んだため、自力で打開できるようになりました。

・不明点を調べたり、疑問点を意識的に調査し、解決する

  ⇒調べること、覚えること、関連付けすること

   ◎知識の体系化と整理

・絵の理由も考える習慣

  ⇒わからない場合、「描いて考える」=「分解する、組み合わせる」

   ◎思考の筋道(プロセス)と段取り(ステップ)の体系化と整理

上記のようなことを意識しているため、しっかりと対応できます。

対応できれば、描き続けることが出来るため、制作が止まることはありません。

練習ばかりしていたように思われていますが、決して無駄では無かったと強く感じています。

 

当然、

・出来映えを良くしつつ、表現の幅を広げる

  ⇒具体的な技術を介在させて絵を描く

   ◎空間に関する理論など。 理論を詳しく修得⇒復習⇒習得⇒…

    ⇒同一の空間に人物やものを巧く描き出す。その感覚を身につける。

     ※手段として、空間を適当に描かない。「しっかりと調べたり考える」

   ◎人体なら、比率にはじまり、断面の変化、筋肉や質感などにも気をつける

・練習の量と質を上げる

  ⇒基礎訓練の継続(質を気にする⇒量を増やす⇒また質を気にする⇒量…)

   ◎基礎と理論がどう応用されるかを常に分析する

は前提です。

ここまで執念深く練習をした人は誰もいないので、そこも自負になっています。

量と質とを含めれば、自分より個人練習を重ねた人間は誰一人いないはずです。

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女性の正義感は社会に悪影響。

女のクレームでコンテンツ売上げが激減

女のクレームで売上が激減したという話はニュースにならないので、炎上もしないのですが、枚挙にいとまがありません。

たとえば、ポリコレ配慮で女性キャラの体型をキャラデザで変えたものをアニメにしたら、案の定売上が落ち込みました。

それどころか、なぜか原作者まで叩かれたという始末でした。

「女というのは百害あって一利なし」という場面が社会では多いということは知識として知っていると良いと思います。

 

ハレンチ学園からデビルマンへ

永井豪という有名な漫画家がいます。

昭和の頃に女学生のパンチラや下着姿を描いたハレンチ学園に女からのクレームが殺到して、メディアに呼ばれて引っ張り出されたという人です。

その後、女(をかたどった悪魔)を悪の親玉にし、それと戦うデビルマンという作品を描くきっかけになったそうです。

バカな女というのはいつの時代でも湧いてくるものですが、社会で女を甘やかしすぎていたというのは昭和の頃でも同じだったわけです。

 

女性管理職を増やした結果、大量リストラが発生

ある自動車会社が女性管理職を6倍にした結果、売れる車が作れなくなり、管理職を守る結果、従業員を9000人リストラすることになったという本末転倒な話が話題になっています。

優秀な技術者を守らずして管理職を守ってどうするのか、というかその判断が売上が激減した原因なのですが、現場を守らない会社は潰れます。

お客を優先しない会社は明後日の方向に進んで没落するだけなのですが、こういう会社が増えている背景として、コンプラやポリコレ重視の企業が増えてきたという理由があります。

しかし、コンプラやポリコレをいくら守っても、売上が上がることはありません。

女性というだけで無能でも役位や役職を与えるというアファーマティブアクションは、失敗したというのがすでに証明されています。

 

女性スポーツにエロコメントを規制論は、興業そのものを潰す

エロい(と思われる)コメントをスクショして晒してコメントを規制しろとか吠えている呆れた連中が湧いています。

その程度のコメントはどこでも発生しているのですが、

しかし、興業である以上、そういうコメントが出てくるのは仕方のないことですし、百歩譲っても管理する運営の問題でしょう。

なぜSNSに晒すのかが理解できません。

よく聞く、警察に駆け込まずに週刊誌にタレコミする女性のようです。

言う場所を間違えています。

また、女性スポーツなんてせいぜい男子中学生位の水準でしかないですから、女性スポーツの人気なんて容姿目当て以外でまず出ないです。

スポーツに求めるのは躍動感のあるプレイですから、女性ににそんな事ができる身体は備わっていません。

それに、他人にエロく見られるということは「健康的である」と言い換えることもできます。

この程度の知能も働かない人の言うことを聞く必要がありません。

 

一般3教科入試でもバカ、推薦枠は更にバカなのに、女子枠という底が抜けた制度

大学入試において、一般の5教科入試と一般3教科では勉強時間が倍は違います。

一般の3教科で1年勉強して取れる成績は、一般の5教科では2年かかると言っていいでしょう。

つまり努力量が倍異なるのですが、なぜか同じ学歴にされてしまうという意味で、3教科入試というのはかなりおかしな制度です。

にも関わらず、推薦枠というのが最近増えています。

AOを除けば、推薦枠は勉強時間がほとんどゼロで入れます。

勉強時間がゼロ、1年、2年の連中が同じ学歴というのがまた謎です。

そして、更に女子枠というものまで出来ようとしています。

女子枠は一般入試枠より確実に勉強時間が短くて高学歴になりやすい女性優遇制度です。

女というだけでそこまで優遇するのかという呆れた制度です。

申し訳ないですが、努力もせずに入学できるバカ女が増えて、大学が破綻するのが目に見えています。

 

女性は社会に悪影響

女性の正義感は社会に悪影響です。

女はコンテンツを潰す。

女のいる職場で技術は育たない。

女のヒステリーは社会を萎縮させる。

女を優遇すると国が壊れる。

この話はぜひ知っておいてほしいと思います。

 

news.yahoo.co.jp

こういう発言をして賛同が得られてしまうので調子に乗るおもに女性が多いのですが、ならば「30超えたら子宮摘出」だとその反対版をとある公党代表が言ったら、案の定SNSで炎上したというある種の社会風刺(ギャグ)なんですよね。

表現とは元来こういうものです。

さすが作家といったところでしたが、他の方々もぜひ社会で「子宮摘出」のような発言をどんどん増やしてほしいと思っております。

短絡を賢いと言い切る人たち

すぐに成立する仕事を賢いと言い切る人たち

3ヶ月で寿司職人になった人は、10年やった人にスキルでは永久に勝てません。

高卒で成立する仕事は、大卒しか採らない仕事に永久に勝てません。

これは当たり前の話ですが、すぐに成立する仕事は、参入障壁が低いがゆえに市場ニーズの供給速度も早く、劣化も急速であるということです。

しかし、3ヶ月で海外にて寿司職人になったり、高卒でネットを使って小銭稼ぎすることを賢いと表現する頭の悪い人たちがSNSでは増えています。

また、そういうものを称揚するインフルエンサーもいます。

需給ギャップを満たせばそこに収益が生まれるというのは、ある意味市場原理として正しいですし、またそうした方法で儲けた人は実際にいるでしょうが、当然ながらあくまで一握りです。

彼らは、1万人のうちの数百人がたまたま何かの偶然でうまくいった話を、あたかも誰でも出来ると言い張ります。

当然、わざとそう主張しているのですが、こうしたネット特有の逆張り論、美味しい話に引っかかる底が抜けたバカが増えていて、警戒せねばなりません。

 

短絡を賢いと言い切る連中は、投資詐欺グループと同じジャンル

このように短絡的な主張をする連中に共通しているのは、自分のビジネスに顧客を誘導したいという魂胆が見え隠れしているところです。

ネットではビジネススクールと称して、確率が低かったり継続性が悪い、再現性があまり高くない方法論をパッケージにして数十万で売るというものが流行っています。

私は、こういう割の悪いビジネススクールは投資詐欺と同じジャンルと見ています。

ニュースでは、9000人から850億円を集めて問題になっている話がありますが、「かならず儲かる」という儲け話を信じ込ませ、投資を集める手法です。

集めたお金は最初こそ返すのですが、だんだん返せない状況になり、最後はかならず破産するのですが、もちろん実行犯はわざとそこまで計算してやっています。

ある程度まとまった金が集まった段階で海外に送金して、足がつかないように隠蔽するのです。

そのお金を追跡できないようにします。

これも詐欺と同種のネット特有の犯罪で、追跡できない、わからないようにネットの方面へ逃がしたり隠したりするという手法そのものは、どの方法論に関してもやり口は非常に酷似しています。

ネットのスクール商売も、利用者はしっかり疑ってみたほうが良いでしょう。

 

短絡的な判断を良いことだと思う底抜けのバカが増えている

こういう話でなくとも、たとえば二次創作は違法だ、規制すべきだとか、性犯罪者は死刑にしろ、皆殺しだみたいな話とかも構造としては似ています。

たとえば、二次創作をすべて規制してしまったら次世代のクリエイターはまったく育たなくなりますし、コンテンツは大きく萎縮するでしょう。

性犯罪をすべて死刑にしてしまうと、どうせ死刑になるならと重犯罪が横行したり、絶対に見つからないような方法を流行らせたりと、犯罪そのものがアングラ化します。

人の欲求を法律で制限できるという発想がどうなったかは、1920年代の禁酒法で学んだはずですが、当然ながらバカはこういう歴史を知りません。

こうした流れの中で最近出来てしまった法律が、AV新法や撮影罪、不同意性交等罪だと思っています。

また、生成AIの流れでも同様です。

そもそも生成物は著作物でない以上、創作活動とすら呼べませんし、利用された無数のデータは権利侵害の可能性がある以上、それを社会に許容するようにお気持ちを垂れ流している連中は頭の悪いとしか言いようがありません。

このように短絡の裏を疑わないような大きく底が抜けたバカが跋扈し、社会を動かす側になってしまったのだなと実感した限りです。

このままでは、日本の世論がネットで大きく傾けられてしまうことで、戦争に加担する日もそう遠くないのかも知れません。

もちろん、ウソ報道ばかり垂れ流しているオールドメディアも論外ですが、ネットのほうにもそれ以上の力学が働いているということは忘れてはなりません。

 

著作権法を理解できない人たち

著作権法の法目的は文化の発展と振興

著作権法の目的は、著作者がもつ権利を保護するとともに、著作物の公正な利用を確保することで、文化の発展に貢献することです(著作権法1条)。

これを平たく解釈すると、

①著作者の権利や隣接する権利を定める

②著作者の権利を保護する

③文化的所産の公正な利用に留意する

④新たな創作活動を促す

のような目的があります。

ネットでは、二次創作批判の際に①や②の話ばかりされますが、③や④も立派な著作権法の目的です。

 

被害認定は損害金額を算定できないと難しい

器物損壊は、物的損傷、経済損害など被害しか出ません。

このように加害者と被害者の関係が明確な場合、なおかつ損害金が出ていると明らかに認定できるものは、通常の犯罪と呼べるものでしょう。

しかし、著作権侵害が親告罪の理由として、加害被害の関係がそもそも明確ではありません。

たとえば、二次創作において、1次の著作権者が損をするということは極めて稀です。

なぜなら、二次創作はそれがきっかけで原作の販促になったり、クリエイターが増えるきっかけになったりと、経済利益が大きいからです。

それに、著作権者が二次創作を作ってほしくないとか、R18作品を作ってほしくないのなら、作品発表当初からその旨を公言すれば良いだけです。

つまり、たとえ犯罪としても、被害認定をしなければならない以上、それによる具体的な被害における金額、つまりお金の問題が大きく関係します。

こういうことを理解もせずに、ただ法律の文字面だけ追うだけで内容を読めていない大人たちはSNSにもたくさんいて、こういう人たちに騙される人が後を絶ちません。

なので、ネットに二次創作に関するデマが流れ続けてしまうのです。

 

著作権法違反が親告罪である理由

著作者に対する権利侵害です。

たとえば、作者Aが作品を作った際に、そこにはある思想や伝えたい意見が存在します。

その作品の二次創作をしたBがいたとして、この人は作品Aの作品のファンアートとして作ったとします。

このように、二次創作はその作品に対するリスペクトを元に描かれているものなので、これは当然違法にすることはできません。

それどころか、Bは作者Aの作品をもとに、Bなりの思想や意見を表現しています。

これが、二次的著作権というもので、たとえ二次創作であっても著作権は発生します。

 

二次創作(ファンアート)の著作権侵害度合いを4項目でチェックしてみると、

①著作者の権利や隣接する権利を定める

→△ファンアートの売上げが一次創作を明らかに超えない限り、関係性は保たれる

②著作者の権利を保護する

→○市場が異なるため直接的な侵害をしようがないどころか、逆に公式スピンオフも

③文化的所産の公正な利用に留意する

→○二次創作は原作へのリスペクトを元にしている

④新たな創作活動を促す

→◎二次創作は新たな創作活動と呼べ、次世代クリエイターのゆりかごである。

 

ということで、極めて違法性は低く、ほとんどの二次創作は合法と呼ぶにふさわしいです。

 

生成AIの問題は「無数の」著作権侵害

ところが、生成AIの問題は別です。

先の話はAとBという具体的な人間関係における問題でしたが、生成AIはそのデータを生成する際に、無数の作品を無断で使用しています。

その時点で、その無数の著作物で表現されていた作者の思想や意見は無視されています。

さらに、そのデータをもとに、機械は新しい生成物を出力しますが、当の機械に表現したい思想や意見はまったく存在しません。

つまり、無数の作品への著作権侵害をしているものの、そこにリスペクトはなく、かつ二次的著作権が存在しないのです。

 

ためしに生成AIの著作権侵害度合いを上記4項目でチェックしてみると、

①著作者の権利や隣接する権利を定める

→×フェイクアート等による二次的被害など隣接権利まで侵害

②著作者の権利を保護する

→×無数の著作物への権利侵害

③文化的所産の公正な利用に留意する

→×公正な利用ではない

④新たな創作活動を促す

→×機械出力を創作活動とは呼べない

 

ということで、極めて違法性が高いのですが、ここを理解できない底が抜けたバカが日々うるさい次第です。

詐欺は殺人より重い理由

詐欺が殺人より重い理由

詐欺罪は法定刑は10年以下の懲役で、罰金刑は定められていません。

殺人罪は刑罰は死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役です。

殺人罪については永山基準というのものがあり、一般的には3人殺したら死刑相当ですが、逆に言えばやむを得ない理由で1人くらいを殺した程度なら、詐欺罪より軽い場合がありえます。

詐欺罪は証拠が残りづらく、規模が大きくないとなかなか摘発されないのですが、一度立件されれば刑は重くなりがちです。

 

詐欺は騙された本人だけが被害者ではない

詐欺に騙されやすい人は一定数かならず存在します。

この人たちをバカだと呼ぶのは簡単なのですが、詐欺に騙された人の子どもや身内、親戚に被害が及ぶので、実は騙された本人だけで済む問題ではありません。

殺人罪なら、その人を殺すだけですのでその時点で損害範囲が確定しますが、詐欺の場合は経済被害なので、その人の損金を誰かが肩代わりすることになります。

詐欺が法人相手なら詐欺の連鎖倒産が生じ、景気に影響も出ます。

詐欺の被害者およびその影響を受けた人たちは、経済的に追い込まれてしまい困窮した結果、自殺や凶悪犯罪などの選択を考えざるを得なくなる状況に追い込まれるなど、社会的不和の温床になりえます。

そもそも、詐欺がまともな商売で儲けているわけではなく人を騙して集金しているので、経済的にマイナスの存在です。

売り方の商品を買い方が金を払って買うことにおいて、商品が金額と等価かそれ以上の取引であるからこそ、経済システムが維持されます。(信義則)

詐欺が社会的に許されてしまうと、その手段が拡散して模倣されていき、被害がどんどん拡大していきます。

 

詐欺被害が拡大すると理解できない底が抜けたバカども

このように、詐欺に騙される、騙されないという視点でだけしか考えられずに、詐欺に騙された人をバカ呼ばわりする人がSNSで跋扈していますが、この人たちこそ底が抜けたバカと言えるわけです。

いただき女子事件で、検察は懲役13年、罰金1200万円を求刑し、判決は懲役8年6カ月、罰金800万円でした。

1.5億円の詐欺でも、悪質性が高いとこのくらいの求刑になります。

殺人罪は7年程度が相場と言われているので、それより遥かに重いわけです。

減刑要求がSNSの頭の悪すぎるおもに女性らから湧いていましたが、こいつらは法律を理解していない底が抜けたバカどもと言っていいでしょう。

その声に日和ったのか、判決をやや甘くした裁判官も問題です。

 

news.yahoo.co.jp

「ホストの被害者であり、騙された男が悪い」という論調を流行させようとしている連中がいまだに湧いているのに驚きですが(加害者の映画まで作ろうとしている)、猟奇殺人の少年Aの本は反対の声が上がって出版停止になったわけですよね。

ダブルスタンダードにも程があります。

詐欺の重さを理解していないのは頭の悪いとしか言いようがありません。

大人のフリした子どもたち

大人のフリした子どもたち

「大人として」話をできると思い込みたがる、大人ぶったガキみたいな大人が増えています。

というのも、自信のある人は「こういうのが大人だ」とか、人前でわざわざイキったりドヤったりしません。

私のようなまともな大人は、そんなことを人前で言うのは非常に恥ずかしいわけです。

ところが、ネットにいる一部の「大人ぶった子ども」は自分の隠しきれない幼稚さを隠すために、やたら背伸びして見せたがります。

精神年齢が幼稚園児並みです。

しかし、こういうやつに限って他人の精神年齢をガキだなんだと罵るのです。

これが、いわゆる「底が抜けた人」の正体です。

 

「底が抜けた人」の身分け方

というのも、まっとうな大人であれば、そもそもそんなことを人前で一切言いません。

これは「底が抜けた人」が増えている証拠でしょう。

ステータスや社会的地位が一切関係なく、金持ちも庶民も、国民が全体的に底が抜けている人が増えています。

たとえば、仮想通貨のような詐欺まがいの犯罪で逮捕される金持ち、貸金庫から金を抜いたり火を放って顧客の家を焼くエリート、闇バイトにハマって引き返せなくなる若者など、「正義や道義がまったく感じられないような道を大きく踏み外した犯罪」が目立つようになっています。

そうでなくとも、絵を教える仕事をしているのに生成AI賛成と公言したり、ゲームの仕事をしているのにゲームユーザーの悪口を広めたり、弁当を売っているのに上げ底弁当を企画したり、こういうのも「客が誰かを理解していない」という意味で底が抜けた人たちです。

また、フェミ界隈のように、「自分が不快に感じた」だけのことを「女性への差別だ」と言い換え、それをSNSで拡散していいね集めすることで、たかが個人の好き嫌いをあたかも公共の利益のように言いふらす連中も、「自分が少数のノイジーマイノリティと気付けない」底が抜けた人たちです。

この人たちは冗談が通じないどころか、「冗談をクソ真面目に受け取って潰そうとする社会的に迷惑な存在」であり、関係ない大多数の人たちが恐怖で何も表現できなくなってしまいます。

いまだに、萌え絵やロリペド趣味を社会の諸悪の根源みたいにいう底が抜けた連中も散見されますが、「犯罪をしてもいない人に向かい悪い印象をひたすら垂れ流すこの手の連中」は、普通の人たちにとっても百害あって一利も無しであり、人間関係を一切断ったほうが良いでしょう。

何をして良い、何をしてはマズイという基準があり、踏み外しても修正と反省と改善ができるのが大人なのですが、上述のように「人前でカッコつけるために、ひたすら偉そうに(論理的にはまったく破綻している)ポエムや説教をひたすらこいて大人ぶりたいみっともないガキ」が増えている印象です。

そもそも、底が抜けた人は「中身がない人」なので、「私には中身がありません」と素直にはっきり言えば良いだけなのです。

オールドメディアがネットメディアに勝てない理由。

デマにならないラインは脚色

メディアというのは、デマにならない範囲で事実をピックアップし、そこに都合の良いストーリーを付与します。

事実を踏まえたうえでデマにならないラインで脚本(ストーリー)を作り出すことを脚色と呼びます。

デマだと名誉毀損なのですが、たくさんの事実から真実はそう言える(だろう)という場合は、真実相当性と言ってデマにはなりません。

脚色である限り、違法にならないわけです。

脚色のことを真実と呼ぶ場合もありますが、真実とは見る場所、立場や立ち位置から一つではなく無数にあります(無数の局所的真実)。

では、どれがより真理に近い真実かを知りたくなるのが人の性です。

また、それらすべての真実が一本の糸で結ばれれば、これこそ真理と思うはずです。

そして、メディアはどちらの主張のほうがより真実と感じられるかを聴衆に問いかけることで、支持を集めるという闘いをしているのです。

 

ネットメディア対オールドメディアとは、抽象度の闘い

オールドメディアは取材をしているでしょうが、やはり情報網が限られているがゆえに、部分的な事実と印象操作しか語っていないのに対し、ネットメディアは色んな人が様々な角度から情報を出しあいますから、全体的な真実に近づきやすいという性質があります。

オールドメディアよりネットメディアのほうが、情報量が多いゆえに抽象度が高くなるわけです。

情報量が多ければ多いほど母数が増えますので、全体の推定値が真の平均に近づきやすい(一致性)という話が統計学にあるとおり、数理的にも証明されます。

もちろん、充分な情報量がないとデマの可能性がありますが、情報量が多ければ多いほど、自然と真理と呼ぶに足る真実に近くなる(数理的に言うと、無限情報量に近づき収束する)わけです。

多くの人に、共通した認識(ゲシュタルト)が形成されていくわけです。

なので、真実を伝えているはずのオールドメディアのほうが、客観的に見てデマがひどいと思われてしまう状況に陥っているのです。

もちろん、細かい点ではネットメディアにも間違いがある場合はあるでしょうが、全体的に見た場合にどちらがより好ましいかという部分では決着がついてしまうのです。