「頭にきたら人を殺す」のは世界では普通のこと
殺人は、世界ではごくごくありふれた日常のイベントです。
アメリカは銃社会なので、邪魔なやつや腹が立つやつは撃って殺すことが可能です。
他の国でも、大半の地域は邪魔だから消すのは当たり前と思っている人は多いです。
ナイジェリアの話では、クラスメイトがある日突然姿を消して、二度と帰ってこなくなるなんてことは日常茶飯だそうです。
日本の義務教育が「殺人=悪」という倫理観を培う
「殺人は悪いこと」というのは、世界では非常に特殊極まりない価値観です。
日本ではすべての国民が原則学校に通いますので、そこで「隣の人と仲良くなりましょう」という教育があります。
そこから、戦争に関する教育などを通じて、「人を殺してはいけない」と教えます。
非常に良く出来ているシステムです。
「友だち100人出来るかな」は、とても理にかなっています。
「腹が立ったからといって、殺人するのはおかしい」「身勝手極まりない」などと、ある意味で途轍もなくふざけた理屈が世間で通るのは、はっきり言いますが日本だけです。
というのも、殺人に「腹が立ったから」以外の理由なんて無いからです。
水と安全はタダじゃないと言われていますが、水は無限に湧いてくるのでタダ同然、多額の税金を投入して義務教育で安全を教えている日本は、この世の楽園と言ってもいいレベルの国家だということは忘れてはならないでしょう。
犯罪がグローバル化している日本
さて、最近では「腹が立ったから壊した」「殺した」という事件が増えています。
これは、紛れもなくインターネット社会化による価値観のグローバル化が原因です。
要するに、日本人の考えそのものが、インターネットによって世界基準に寄ってきているのです。
国際マフィア組織や闇バイトにとっては、呼び水のごとく嬉しい状況でしょう。
ここでは善悪の判断は置いておきますが、そういう傾向だということを知っていれば、不気味な動機の事件も理解できます。