肩書きから連想されるイメージを裏切る人たち
元静岡県知事が有名ですが、彼は学者から政治家になりました。
学者で政治家になる例は後を絶ちませんが、きっと彼らはこう考えました。
「俺は頭が良いから、良い政治ができるはずだ」
しかし、このプライドが悪い方に出て、最終的には立つ鳥跡を濁すという形になりました。
この手の人たちは、学者という肩書きを悪用しているとも言えます。
要するに、世間の一般的なイメージとして、普通は「自分よりは物知りのはずだ」という根拠を得ます。
しかし、実際には、
・謝らない(自分が悪いと思わない)
・褒めるために他を貶す
・言ったことを覚えてない(忘れたふりをする)
・過去の実績や肩書きで生きている
・人の話を聞かない(相手の話に割り込んだり被せて話す)
・評価の低いものは吊し上げ
・理詰めされたら逆ギレ・パワハラ
などとなによりもまず人間性が最悪で、今日び連続殺人犯だとしても、このような低劣な人格を持っている人物は珍しいくらいです。
まさか、こんなやつとは誰も思わなかったわけですよね。
なので、人物像がよく分からない選挙のときは、得票数が多くなり当選したわけですが、時間が立つほど「専門分野以外何も分かっていない人」とわかりはじめ、支持者の失望に変わりました。
「専門知識以外は無い」のは当然。でも、世間イメージは違うという問題
「専門分野以外知らない」のは、少し考えれば誰でも分かる至極当然のことなのですが、学者という肩書きの世間的なイメージとしてはまったくそうではないわけです。
「当然、倫理的に正しく一般的な感覚を持っている真っ当な人間が、勉強をして知識を身に着け、学者となり功績を残しているはずだ」「少なくとも選挙に出るような学者なんだから、優秀だという自負があるだろう」「だから、当然そういうことはクリアしているはずだ」という、肩書きから来る期待を見事に裏切ったということが問題です。
中には、そういう期待を抱いた周囲の人たちに対して、自分が選挙に受からなかったのを腹いせに「有権者は無知でバカな愚か者だ」と罵る最悪な候補者もいます。
こういうふうに、「なぜ自分が当選できなかったか」を省みる前に、相手のせいにしてしまう人は、残念ながらいくら専門知識があろうと肩書きがあろうと、絶対に当選させるわけには行かないと人は考えます。
今回の知事の話で、学者に対するイメージは随分悪くなりました。
何も選挙に限らず、世の中には肩書きのイメージを逆手に取って悪用している人はたくさんいますが、そういう連中が肩書きを悪用すると、ちゃんとやっている他の人のイメージも悪くなります。
「私は専門知識以外まったく知りませんが、政治に興味があるので、得てきた知識を活かして世間に尽力していきたい思います」とか言っていれば、まだマシだったでしょう。今の時代だと、そう言ってしまう人のほうが、よほど誠実に聞こえますね。それだけウソつきが当たり前に増えすぎた。
中才は肩書によって現はれ、大才は肩書を邪魔にし、小才は肩書を汚す。
「中くらいの才能を持った者は、肩書を与えられることにより、その才能を表し、大きな才能を持った者は、ことをなそうとすると肩書により制限されるので肩書を邪魔にし、小さな才能しか持たない者は、肩書を与えられても、その期待に相応しい振る舞いすらもできないので肩書を汚してしまう」