平等教育が社会の不平等を肯定する
日本社会では小さい頃に義務教育で平等教育を施されますが、大人になるに連れて生まれから不平等であることが浮き彫りになります。
なので、いい歳こいた大人が大声で「ウソを教えていた教育は意味がない」などと反発することになります。
つまり、国による「善意の平等教育」がゆえに、社会の不平等を肯定する動機が生まれてしまうのです。
だからこそ、親はこぞって子どもを学習塾に入れさせたり、通信教育の講座を複数取ったり、参考書をたくさん買ってやらせたりするのです。
義務教育で能力別にしないから、男女平等が成立しない
能力別にしないで、「子どもはみんな同じだ」という考えが、多くの大人に根強くあります。
しかし、実際には生まれたときから知能、環境などの要因ですでに不平等です。
不平等を直視しなければ、ちゃんとした平等(機会均等)は成立しません。
ギフテッド、境界知能を認めない社会は、女性の社会進出も認めない
ギフテッドを謗った高専の先生の話も、「子ども平等神話」を信じてしまっています。
一般論ですが、理科系の人が危険なのは、こういう自明の思想そのものが、すでに社会に植え付けられたものと気付けないところにあります。
女性の社会進出も真の意味で認める事ができず、東工大がアファーマティブアクションをやってしまうあたり、彼らは本当に何も分かっていません。
女性の社会進出も認める社会にしたいのなら、まず能力で分けられる環境に慣れる必要があります。
小さい頃から、「あの人は能力が高いから仕方ない」と諦めさせる訓練が必要
日本人は、とりあえず能力別の社会に慣れることが大切です。
義務教育を上中下の能力別にするべきです。
それが出来ないなら、どんなに時間をかけて施策を打っても無駄に終わるでしょう。