国家再生の方法
プラトンの国家論
プラトンの国家論では、国家天下を論じ、その計略までをも策定するエリートとして哲人階級を置くべきと言われています。
彼らは妻帯は愚か、私有財産や住所、経済活動さえも許されない階級で、生まれたときから人生のすべてを国家そして民のために捧げる人たちで、ゆえにエリートと呼ばれます。
その下に、政治家でインテリ軍人らの階級として護民官階級を置きます。
彼らは妻帯は許されますが、私有財産は否定されますし、30年以上の厳しい修行が必要とされる階級です。
その下に経済人階級がありますが、彼らもやはり自由に財産を運用出来るわけではありません。
その下に平民、庶民となり、この下の方の階級ほど私有財産や妻帯、自由が許されているという構図になっています。
現代社会が腐敗する理由
今日の日本では、みんな庶民という建て付けであるものの、実態は金と権力を持っている人とそうでない人が、同じ扱いになっているわけで、これはとてもアンフェアです。
つまり、本来なら哲人階級、護民官階級、経済人階級の役割を担うはずの金や権力を持つ人たちが、さらに庶民の自由さをも得ているわけですから、そりゃ権力組織をはじめ、社会全体の腐敗は進みまくるに決まっています。
庶民からエリートが出た歴史はありません(明治維新はクーデターでした)ので、エリート階級を復活させるしか方法はないのですが、先に記した通り、金や権力を持つ人をエリートにしてはならないので、これだけ自由が進んだ社会だと実現がそもそも難しいです。
あと、この手の話で江戸時代の士農工商を持ち出す人もいますが、実際は農民に自由はなく重税ばかりでしたので、やはりプラトンの話とはほど遠いです。
上から67人と下から35億人の富が同じ時代
このままだと、一部の金持ちエリートがすべてを支配するディストピアの完成です。
世界では、かつて財閥エリートが牛耳っていた20世紀が牧歌的にしか見えないくらい、ほんのごく一部の大金持ちとその他で資産に圧倒的な差がついています。
なぜこうなってしまったのかというと、世界中の人間がプラトンで言うところの庶民だからです。
つまり、大金持ちも庶民なので、税金は払いたくなければタックスヘイブンに逃して法の網の目を掻い潜ることで払わなくてもいいし、気に入らないことがあれば自社のルールをいつでも好き勝手に変更、恣意的運用をしたり、メディアで糾弾されれば、そのメディアごと買収したり、敵対する人たちを裁判で脅したり、あるいは金で買収すれば良いわけです。
彼らは口ではノブレスオブリージュと嘯きつつも、その実態は倫理や道徳のカケラもありません。
弱者救済が上手くいかない理由
弱者救済がなぜ上手くいかないのかの理由として、機械的にやらないからだという話があります。
それはそうなのですが、現代の総庶民社会では、その機械の設定をいじる権利があると、狡猾な金持ちや利権屋は勘違いしてしまうわけです。
こうした嘘つきたちが「君たち弱者を救いたい俺こそヒーローだ」と嘯きつつ、金や利権をどっさり抱えてふんぞり返るのがオチでしょう。
なので、先ほどプラトンの言ったような哲人階級が社会に存在しない限り、本当の弱者救済は不可能でしょう。