殺害事件より罪を重くするべき理由
「肉体の死より魂の死のほうが重い」と哲学者のキルケゴールが言ったのは有名です。
いじめ自殺事件について、私は単なる一般の殺害事件よりも量刑を重くすべきと考えます。
まず、いじめというのはリンチです。
絶対に安全なところから、集団で攻撃を一方的に加えます。
そして、いじめでは、かならず権威を後ろ盾にします。
会社、先生、上司などへの忠誠心を逆手に取り、だからお前はいじめられて当然だとリンチを正当化するのです。
しかし、当然ですが現代の日本社会には人権があります。
なので、「いじめられた結果の自殺」というのは、被害者はそこまで追い詰められたということであり、一方的なリンチによる魂の殺害にほかなりません。
精神的な死を与えることに対する法律、あるいは量刑を設定すべきに思います。
映画ジョーカーを観てください
人にとって、精神的な死は肉体的な死よりよほど苦痛なものです。
「弱者を精神的な死に追いやることは黙認される(問題にすらならない)が、弱者が肉体的な死を与えた(殺人)場合は悪とされる。善悪を主観で決めているとのセリフがあったことから、肉体的な死と精神的な死は本来イコールのものであり、権力者が弱者に与える精神的な死は、殺人同様に残虐性を伴うものであると、この映画は主張している」(リンクより書き抜いて引用)
弱い者いじめは良くて、悪の権力者=強いものを殺したら悪なのでしょうか。
私は、必ずしもそうは思いません。
今の日本は、悪い権力者が開き直って、堂々と弱者を煽ることばかりをしています。
よく考えてください。
私は自分自身の正義を捻じ曲げてまで権力者におもねるくらいなら、悪人になったほうがマシと考えます。