忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

ネット炎上したアニメ監督の話。

猫の恩返しの監督の発言

「DJSODAは美人局」発言で炎上していました。

投稿削除をしていましたが、SNSでの炎上は収まりませんでした。

www.j-cast.com

 

スナックバス江の監督の発言

「漫画家の芦原さんをネット民が死に追いやった」発言で炎上していました。

謝罪と垢消しをしていたようですが、SNSでの炎上は収まりませんでした。

togetter.com

 

個人的な話として

両方とも的を射ている内容だなと、個人的には思いました。

世の中のことについて、着眼鋭い分析をしています。

私も同じことを思っていました。

しかし、同時にこの手の話題について、SNSで発言するべきではないとも思いました。

少なくとも、これらは「一般的な」捉え方ではありません。

そして、「一般層に理解をしてもらおう」という前提で話をすればするほど、舌鋒鋭く話さざるを得なくなります。

なので、本来の顧客に嫌われてしまって炎上してしまうというわけです。

やはり、ここで大切なのは、一般的な感覚に対する理解です。

 

一般的な感覚と(普通の人が気付けないような)特殊な感覚を、両方持つことの重要性

「この話題は一般層にどのくらい理解できないか」という分析が欠けていると、SNSでは簡単に炎上します。

そもそも、一般層に理解できないことを理解してもらうために、言葉だけではなく絵だったり映像を使って表現する仕事に就いているのがクリエイターであり、だからこそ仕事になっているわけです。

なので、一般層であまり理解できない話は、ネットやSNSでは言わないほうが良いでしょう。

ネットやSNSは、たとえ有料やクローズドなコミュニティであっても、バックボーンやリテラシーが様々な人で構成されています。

そうすると、何かにつけて、話の同意が取りづらいのです。

100人いたら95人がそうだよなと思う話でないと、ネットやSNSでの同意は基本的には成立しません。

そして、昔と違って、いまはSNSで炎上させても、メリットは無いどころかデメリットのほうが増えています。

炎上させるのは簡単なことですが、一方で「お客さま」なので、慎重に対応したほうが良いでしょう。

この手の話題は時代によって基準が大きく変わるので、気をつけましょう。

デマを流す人たちには法的措置を検討

デマを流すと罪に問われるおそれがある

デマそのものでは犯罪になりませんが、デマにより生じた不利益次第では犯罪に当たる可能性があります。

真っ当な批評とは違って、デマを流すことによるリスクは計り知れないものです。

また、デマを流す主体が影響力が高い人間や組織の場合、より罪が重くなります。

当然、反省することもなく何度もやれば、罪がより重くなります。

SNSでは、たとえ投稿を削除しても、履歴としてデータはすべて残ります。

「法の不知はこれを許さず」の通り、知らなかったで許されることではありません。

デマに対して、私はSNSで何度も被害にあっています。

当然ですが、一切許すつもりはありません。

今後は、より強く訴えていきます。

 

kusatsu.vbest.jp

元プロの話は話半分にしておくべき理由。

元プロとは

5年10年と現場から離れていたり、仕事をしているもののお手伝い程度にしかしていない人のことを元プロと呼びます。

自分の商売の広告のために、つっかけで仕事を受けたりする人もいるみたいですが、基本的に元の業界には戻るつもりのない人たちです。

たとえば、ピアニストがピアノ教室を開業したりするようなものです。

あるいはプロ野球選手が野球教室を開いたり、もしくはコメンテーターになったり、プロ格闘家が格闘技ジムを開いたりという具合です。

それ自体は素晴らしいことですが、この手の人たちの話にはよく注意したほうが良いです。

「元プロ度」はそれこそ人によりますが、その人がどのくらい教育のほうに比重を置いているかをチェックしてみましょう。

週末や空き時間を使って少し教えているとかならともかくとして、客観的にみて明らかに教育に比重が高ければ、元プロと判断して良いでしょう。

 

元プロの問題点

まず、こういう人たちに共通しているのは、現場から離れているということです。

また、仕事を持っていても、もちろん業界に戻るつもりがないため、分析や話が的外れになりがちです。

そのくせ、元プロというプライドが邪魔をして、おかしな話を広げる傾向があります。

たとえば、野球界でコメンテーターが筋トレをやってはいけないと発言していたときがありました。

要するに、過去の因習にすぎない話を、さぞ正論のように語る人がいるのです。

これは、元プロとしてのプライドと、ある種の現選手に対する無責任さ、そして現場の論理をよく知らないことから起因します。

今でこそ、野球で筋トレをするのはごく当たり前だという認識になりましたが、元プロが偉そうに発言してしまうと、割と本気で信じてしまう人が一定数います。

しかし、古い話を真に受けていると、どんどんおかしな方向に行ってしまいます。

元プロの話には、くれぐれも気をつけたほうが良いでしょう。

 

www.sponichi.co.jp

ダルビッシュ選手が野球界の重鎮から非難轟々だったのは、記憶に新しいところです。

しかし、彼は無視して自分を貫いた結果、大きな成果を上げたので、その話が今では普通になっています。

このように、元プロだからといって、必ずしも正しいことを言っているわけではないということです。

論理的に考えて、現場を離れている、あるいはもう現場に戻るつもりがない人たちの話を聞くのは間違っています。

現場で前線の人たちが、成果を出そうと必死に知恵を絞って考えたことに勝るものはないわけですね。

誤解を招く喩えは反感を買う

誤解を招く喩え

絵描きなどのクリエイター、アーティストの職業を、アスリートにかこつけて、競技者だ、なんだかんだと言う人がいるみたいです。

ここは批判しておくと、断じてもいいですが、ピアノのコンクールで世界ランカーとかでもない限りは、まず「競技」と呼べるものではありません

絵描きなどのクリエイターやアーティストって、そもそも競技者でもアスリートでもないです(だからクリエイター、アーティストと呼ばれている)。

ジャンルが間違っています。

そして、この喩えは、なによりクリエイター、アーティストにも、アスリートにもすごく失礼です。

 

※競技…互いに技術を競い合い、優劣をあらそうこと。 おもに、運動競技をいう

 

アスリートは肉体的な要求レベルが違う

アスリートにしても、ほとんどの人はアスリートレベルの練習を経験したことがないと思います。

当然、普通の人は練習についていくこともままなりません。

一方で、絵や音楽、勉強、ゲームといったものは、内容はともかく、五体満足で座っていることさえ出来れば、作業くらいは誰にでも出来ます。

もちろん取り組みのレベルはあるでしょうが、アスリートみたいな肉体的な要求レベルの高さと比べると、そもそも根本が大きく違います

アスリートの話そのものは参考になるかも知れませんが、それはデスクワーク、ホワイトカラーでも、どの職業でも同じことです。

 

アスリートは超人が努力する世界

たとえば、ゴルフで80の人とかだとしても、全体のうち20%程度いるそうです。

最近だと、私はとある有名ゲームではトップ1%を切る腕前(と自負がある)でしたが、たかが全体の1%程度では、上手いとか下手とか言われる領域ですらありません。

アスリートは何がすごいかと言うと、もともとの超人(体格が良い、反射神経がいい、運動能力が高い、打たれ強い、体力がある)がさらに努力を重ねて、トップ0.01%の領域を競っているという点です。

プロ野球で最弱と呼ばれている人が、それでも学校のクラスでは1番運動能力が高い、2番目くらいには体格が良い、打たれ強かったなどと言っていました。

そのレベルでないと、そもそもアスリートになれません。

おまけに運動は、年齢制限があるので非常に過酷な世界です。

 

誤解を招く喩えは反感を買う

「AとBを比べるときに、B を腐して、Aを持ち上げる」のが良くないと、いま話題になっています。

同じ話で、「Aを持ち上げるときに、Bと同じだとして、Aを持ち上げる」のも、場合によっては良くないです。

これは、取り沙汰されたBがAと比較にならない(条件としてもそもそも比較困難)ようなものの場合だと、Bにとってはとても失礼になりますし、Aにとっても印象が悪くなります。

たとえば、「パティシエはアスリートと同じだ」と呼ぶ人がいたとして、これは何を意図してそう言っているのかが非常に不明瞭な発言です。

そして、引き合いに出されたアスリートにも失礼ですし、パティシエもいい気分がしません

このように誤解を招く喩えは、人から大きな反感を買います

ということで、何かを言うときには、誤解しうる偏差を減らし、誤差を少なくする努力はするべきです。

これは私が現場指導していたときに、非常に意識していたことでもあります。

子どもでも大人でも、相手が理解できないような可能性のある言い方は、ビジネスとしてもふさわしくありません。

人を煽って困らせたい人たち

下着の色指定問題で騒ぐ人はバカ

校則の下着問題への反応で、その人の論理的思考能力を図れます。

たとえば、条件反射で校則の下着問題に騒いでいる人は、「条件を潰していく」という発想ができないです。

たとえば、夜職やグラビアアイドルなどの下着の色は、紫・ピンク・赤など派手なものを着用します。

また、柄もラメ入り・スケスケレース・Tバックなど、派手なものです。

なので、こういうものを禁止する、ということは必然的に白色などの地味なもので指定する必要があります。

次に、わざわざ柄や色指定をする必要がないという人がいますが、残念ながら抽象的に言っただけでは指示になりません

たとえば、白色というだけでは本人の感覚次第となるので、白色だがラメ入りスケスケみたいなものを履いてくる可能性が排除できません

だから、中学生は地味なものを履いてこい、その具体例は…となるのが当然です。

変態教師だなんだかんだと騒ぐのは知的障害、あるいは境界知能、知恵遅れなどに該当する可能性が極めて高いですが、SNSではこの声ばかり(ノイジーマイノリティ)が主流です。

 

人を煽って困らせたい人たち

この件に限らずとも、こうやって煽って騒いで人を傷つたり、嫌な思いをさせたり、業務妨害をするなど、人を困らせて楽しむことがSNSでは主流です。

そもそも、性犯罪に自ら行かない、遭わないためにも、未成年の女子の下着チェックなんて普通に考えればごくごく当たり前の話です。

一般的で機能していることを煽って、デメリットを増やそうとするのは、リニア妨害した某静岡県知事と同じです。

人を煽って困らせたいバカの声が大きいSNSですが、SNSばかり見ていると、人を煽ったり炎上させるのが日常で当たり前だと思いこんでしまうので注意したほうがいいでしょう。

ネットでは、リアルの人の反応が見れません。

ネットの向こうで激怒している人もいますし、SNSきっかけで根に持たれてしまい、いきなり襲撃されて痛手を負うような事件も増えているので、注意したほうがいいです。

理系の悪いところ

理系の悪いところ

1.通らない理屈を「相手がわからないから」で相手のせいにして通す

2.徹頭徹尾見下す

3.そして結局屁理屈

そして、世間はこれをコミュ障と呼びます。

世間には、一般的な理系の男性をなじる言葉として「チー牛」「陰キャ」といった悪口があります。

これは確かに差別的で侮蔑的な用語ですが、主にこんな感じの見てくれのやつらに偉そうに見下された経験から、嫌悪感を抱いた多くの人々の恨みが生み出した表象なのかも知れません。

たとえば、文系をバカにする理系なんかも典型ですが、×をつけられた方は会話に参加することも出来ず、ひたすら比較対象のサンドバッグとして見下されます

文系側にも言いたいことの一つも出てくるでしょうが、そこを話させないで封殺することが十八番になっている理系の人はかなり多いです。

匿名掲示板やSNSのレスバで屁理屈こねてるのは、だいたいこういう連中だと、確認しないでもおよそ想像がつきます。

 

自分の世界観でゴリ押しするな

「自分の中では間違っていない、だから正しい」というのが理系の論法です。

つまり、このタイプは「自分の中では」間違っていません。

彼らの頭の中を書き出すと、だいたいこんな感じです。

  • 自分自身の頭の世界の中では、自分の発言は何も間違ってない。
  • それどころか、自分が他人に対して失礼な所なんて1ミリも無い。
  • むしろ、他人こそが説明不足で理不尽で失礼極まりない。
  • 要は、自分以外のすべての他人が自分に対して礼を失している。
  • そもそも、自分は謙虚に正しいことしかしてないし、言ってない 。
  • なぜ、周りが自分のことをいちいち失礼だとか、間違っているだとか言うのか!!
  • そもそも、自分以外の他人はバカだから、それで理解出来ないんじゃないの?

 

つまり、「他者には他者で他者の価値観がある」という概念が、彼らの頭の中には存在していません。

たとえば、仕事論とかでも「他者に対してサービスをするという、他人ありきで考えるべき」という考えを持っている人がいたとしたら、それ以外のことを他人が言うと「それは間違っている」と屁理屈をこねます。

また、いま話題の例の知事も理論経済専門らしいので実質理系です。

「自分以外のサービス提供者はランクが低くて、自分こそが真っ当なサービス提供者だ」という姿勢を崩しませんでしたから、失脚という結果になりました。

「Bを腐してAを立てるな」と言われていますし、これも当然ですが、もっと根深いところに原因があります。

 

理系が注意したほうが良いこと

私も理系でした(大学の専攻も実質理系)ので、この手の考え方はよく理解しているつもりです。

「論理的で怖い」というより、「自分の感情に過ぎないものにも、いちいち屁理屈つけて、コミュニケーションのエンドポイント間違える」から「怖い」「キモい」ということを多くの人は感じます。

例の知事だって、言いたいことを言うのに「他の業種が…」とか、いっさい言う必要はないはずですが、言ってしまっているのはなぜか。

  • 俺は偉いんだから、他人は言うことを聞く役割だ。
  • 俺の言うことが正しいのに、お前らはなぜ聞けないんだ。

こういう感情が、理屈の端々に漏れてしまったわけですね。

理屈に感情を混ぜてしまうタイプは、世の中には意外に多いです。

理屈はあくまで理屈、論理はあくまで論理であり、完璧なものでもなんでもありません

条件が一つ違えばまったく答えが異なるというのを、数学Ⅰ(命題と証明)で学んでいるはず。

証明内容よりも条件をしっかり確認します。

 

www.asahi.com

知事の発言は自身のプライドを優先し、県民のことを二の次にしています

絵が上手くなる人、ならない人の考え方の違い

上手くなる人

・絵のパターンや、上手い人のやり方を吸収して再現

絵にはパターンや方法があることを学ぶ

 

・リアルな資料で雰囲気の確認をする

リアルな実写で裏取りをして確認する

 

・簡単な絵からステップを積んで描く

簡単な絵と複雑な絵は考え方が同じ

 

・描くときに様々な手法がある

いろんな表現方法を知る

 

・日頃から絵を上手く描くための手がかりを探す

一般的な知識からヒントが得られることも多いので、一般感覚が必要

 

・上手い人の考え方を参考にし、再現できるように言語化が出来る

言語化をしないと、ただ聞いただけになる

 

上手くなる方法やパターンは大体決まっています。

上達には、とにかく事実や実際に忠実であることが必要条件です。

また、絵と直接関係のない話から絵のヒントを得るみたいな、点と点が結ぶ経験をするのも大事です。

逆に、変な妄想にばかりとらわれ、スピリチュアルや陰謀論みたいな思想にハマると上手くなりません。

 

www.elec.hi-tech.ac.jp

 

上手くならない人

・自説自論に固執し、自分は特別だと自分の考えを改めない

自分を改善できないため、同じことを繰り返す

 

・人を自分のカテゴリ分けでしか判断しない

自分の分類方法を疑えない、「自説に固執する」のと同じこと

 

・つねに偉そうで見下している、煽り口調で嫌われる

嫌われるので情報が得られない、見下して煽る人は避けられる

 

・嫉妬など、自分の感情と向き合わない

嫉妬に限らず、不愉快なら不愉快という感情を知ること

 

・別の時期に同じキャラを描かない

同じキャラを描かないと実力測定が出来ない

 

・絵と仕事など、ものごとの違いを明確に認識できない

自他の境界をはっきりさせない、他人との距離も曖昧になる

 

・難しい絵や大作に挑んだことがない

一度は難しい絵を描こうとする経験が大事、その後の伸びしろになる

 

・紙の中であれこれと考えた経験がない

時間の無駄なようだが、考える経験がないとどこで苦しんだか理解できない

 

上手くならない考えは様々ありますが、一つ言えるとすれば自他やものごとの境界が曖昧、自説や屁理屈に固執するといった偏狭さ、理屈優先で感情無視(逆も然り)が原因になります。

自分の世界の中で正解でも、他人から見れば不正解というのが世の中です。

世の中には、色んな才能の人がいます。

最短最速と呼ばれている手法が、実は最遅最悪になる例なんていくらでもあります。

なにより、自分で考えることが大切です。

そして、自分を他人より優れているとか謙虚だとか心底思ったら、そこでおしまいです。