誤解を招く喩え
絵描きなどのクリエイター、アーティストの職業を、アスリートにかこつけて、競技者だ、なんだかんだと言う人がいるみたいです。
ここは批判しておくと、断じてもいいですが、ピアノのコンクールで世界ランカーとかでもない限りは、まず「競技」※と呼べるものではありません。
絵描きなどのクリエイターやアーティストって、そもそも競技者でもアスリートでもないです(だからクリエイター、アーティストと呼ばれている)。
ジャンルが間違っています。
そして、この喩えは、なによりクリエイター、アーティストにも、アスリートにもすごく失礼です。
※競技…互いに技術を競い合い、優劣をあらそうこと。 おもに、運動競技をいう
アスリートは肉体的な要求レベルが違う
アスリートにしても、ほとんどの人はアスリートレベルの練習を経験したことがないと思います。
当然、普通の人は練習についていくこともままなりません。
一方で、絵や音楽、勉強、ゲームといったものは、内容はともかく、五体満足で座っていることさえ出来れば、作業くらいは誰にでも出来ます。
もちろん取り組みのレベルはあるでしょうが、アスリートみたいな肉体的な要求レベルの高さと比べると、そもそも根本が大きく違います。
アスリートの話そのものは参考になるかも知れませんが、それはデスクワーク、ホワイトカラーでも、どの職業でも同じことです。
アスリートは超人が努力する世界
たとえば、ゴルフで80の人とかだとしても、全体のうち20%程度いるそうです。
最近だと、私はとある有名ゲームではトップ1%を切る腕前(と自負がある)でしたが、たかが全体の1%程度では、上手いとか下手とか言われる領域ですらありません。
アスリートは何がすごいかと言うと、もともとの超人(体格が良い、反射神経がいい、運動能力が高い、打たれ強い、体力がある)がさらに努力を重ねて、トップ0.01%の領域を競っているという点です。
プロ野球で最弱と呼ばれている人が、それでも学校のクラスでは1番運動能力が高い、2番目くらいには体格が良い、打たれ強かったなどと言っていました。
そのレベルでないと、そもそもアスリートになれません。
おまけに運動は、年齢制限があるので非常に過酷な世界です。
誤解を招く喩えは反感を買う
「AとBを比べるときに、B を腐して、Aを持ち上げる」のが良くないと、いま話題になっています。
同じ話で、「Aを持ち上げるときに、Bと同じだとして、Aを持ち上げる」のも、場合によっては良くないです。
これは、取り沙汰されたBがAと比較にならない(条件としてもそもそも比較困難)ようなものの場合だと、Bにとってはとても失礼になりますし、Aにとっても印象が悪くなります。
たとえば、「パティシエはアスリートと同じだ」と呼ぶ人がいたとして、これは何を意図してそう言っているのかが非常に不明瞭な発言です。
そして、引き合いに出されたアスリートにも失礼ですし、パティシエもいい気分がしません。
このように誤解を招く喩えは、人から大きな反感を買います。
ということで、何かを言うときには、誤解しうる偏差を減らし、誤差を少なくする努力はするべきです。
これは私が現場指導していたときに、非常に意識していたことでもあります。
子どもでも大人でも、相手が理解できないような可能性のある言い方は、ビジネスとしてもふさわしくありません。