人は遺伝で50%、環境遺伝が25%、教育は25%で影響を受けると言われています。
教育25%の中身も、たまたま居合わせる友人の影響が大半で、教育そのもので人が変化する割合は10%程度もないと言われています。
友人はほぼ選べないので、教育は後天的に人が変わる最後の機会です。
つまり、教育をやったところで人への影響率は高くないため、変わらない人のほうが圧倒的に大多数です。
教育はとても大切ですが、同時に教育は利得低めのギャンブルです。
つまり、保険と似ています。※実際に教育業界から保険業界への転職率は高いです。
現に、毎日数分さえ勉強しないという選択を日本人の圧倒的大多数が取っていますし、実に合理的な選択です。
低い掛率のギャンブルにかけるくらいなら、勉強しなくてもいい。
こういう考えもアリなのです。
労力や投資コストを一切弾いて、ひたすらダラダラと自堕落に生きるのも実際には戦略ですし、彼らを否定することは出来ません。
勉強したからと言って、どれほどの人がどの程度変わるのかは分からないです。
ならば、何も考えないで良いという選択です。
変わらない人が大勢なのも事実ですから、そういう意味では賢いです。
私のように、教育を受けることで効き目があった人は効いたと思いますが、実際にもそういう人は本当に僅かです。
そうでない人にとっては全くそうではない。
教育の実際はとても非合理的です。
非合理だけど、教育は合理とどこまで言えるかが教育の本質でしょう。
合理を徹底して成功確率をちょっとでも上げるのが、教育の使命とは言えます。
現に、日本の塾のシステムはどれも素晴らしいものばかりです。
勉強の考え方ややり方を教わり、カリキュラムが設定されていて、そのとおりにやって着実に力がついていく。
技術の学習と習得によって実際の人生が変わって、仕事で知見や経験を得て人格も向上する…ということもありうるわけです。
ただ、そこで調子に乗っているのか、人間性を語るおかしな人も教育業界にはたくさんいます。
彼らは、技術で人格が変わると思いこむ、いわばインチキ整体師みたいなものです。
技術と人格は関係ありませんし、そもそも確率が低い中での工夫で打率を上げていることを忘れて現実逃避している人たちですので、良くありません。
したがって、教育は、小さなことを前より出来たと一つでも言えることを、増やしていくほうが賢明です。
なので、教育で一つでも成果が出たら、素晴らしいことです。だからといって、調子に乗って自慢しまくる教師は最悪。
私は今後教育をやることはないでしょうが、教育をしていてよかったなと思うことはいまでも多々あります。
ただ、狭い世界の話なのもまた事実です。
もちろん、教育が大切と言っておくこと自体は、社会にとっては善いことです。
ヘッドギアで意識ごと洗脳してしまうマシンみたいなのがSFでよく考えられたのも、ある意味頷けます。
倫理の是非は置いておいて、そういう方が効率は良いですからね。
ただ、それをやり始めたら、もう人間じゃないでしょう。