忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

社会の原理原則と日本の文化による補正。

社会の原理原則

勉強出来たり頭の良い人は、だいたいよく勉強ができてしまうため高学歴になります

もちろん諸々の事情でそうならなかったりする人もごくごく一部の例外でいますが、基本的にはそうです。

また、スポーツもエンタメも歴史的には頭の良い人や富裕層のものです。

では、なぜスポーツやエンタメが普及したのかといえば、それは頭の悪い貧乏人に向け、イメージ戦略と市場拡大の広告やマーケティングで広めたというだけの話です。

当然ですが、エンタメも作り手や広める人は、高学歴で賢い人たちが主流です。

広告代理店の社員の学歴でも調べればすぐに分かるでしょう。

つまり、社会の仕組みはそう出来ています

これが社会の原理原則です。

エンタメの仕組みやスポーツのコツなどは、ごく一部の人しか知らない暗黙知が非常に多い分野であり、ユーザーの時点で、クリエイターとはやはり知識量や技術に相当の差があります

いくら技術や知識が民主化されたとしていったとしても、頭が悪い人ではやはり学習が難しい分野なのです。

数百、数千本映画を見た程度では到底たどり着けない領域にクリエイターはいるというわけですね。

当然、スポーツも然りです。

スポーツは、見るだけでは出来るようになりません。

 

日本の文化による補正

とはいえ、日本の文化としては、低学歴や中卒高卒にめちゃくちゃ甘い社会です。

日本は世界中でも例を見ないくらい、弱者に甘々の社会です。

成果を出した成功者はあまり評価せず、ひたすら弱者を救済し続ける社会なのです。

※善悪の話はここではしていません

この文化で、本来の実力以上に得をしたり下駄を履かさせてもらっている人が多くいます

たとえば、大学入試では、公募制推薦、AO入試など、本来の実力ではない部分で高学歴を得てしまう人が年々増えています

また、学歴フィルターをする大手会社がたくさんあるものの、一方で低学歴からも人材をバランスよく取る大きな会社もいまだにたくさんあります

そういう意味では日本は非常にボーダレスで恵まれた文化であり社会なのですが、それを勘違いしたのか、たまたま上手く行っただけにも関わらず「低学歴でも~」としゃしゃる、頭の悪い人が世の中には一定数います

しかし、この考えは本来の社会の原理原則からは反しています

残念ながら、その当然の原理原則を知らない人は、勘違いして惨めな目にあってしまうということは社会ではよくあることなのです。

ということで、日本文化と社会の原理原則を混同しないようにしましょう。

今後、IT発展により社会の民主化が進めば、日本の文化による補正は消えていき、より社会の原理原則が色濃く出るような身も蓋もない社会になっていきます。

ということで、今後はより優秀な人だけが勝っていく社会になるのです。

 

世の中の問題の見方

ということで、今回は特別におまけで、このブログの記事の使い方を紹介します。

たとえば、私のブログは1つの考え方のものさしです。

このものさしを使って、世の中の炎上問題やニュースなど分析してみると、割と楽に落とし所が見つかります。

ジブリパーク問題

日本の社会文化 人形を痴漢しているような写真を広めてキモい

社会の原理原則 何ら違法性がないのに知事が民間の運営会社に指示

→この場合は、違法性がないのに私刑をしている日本社会が問題です。問題の判断は運営会社に主体があるのに、しゃしゃって知事が指示は論外。社会の原理原則を優先させるべきでしょう。

また、スシロー問題も違法性に当たる部分に関して、スシロー側が法的措置するだけです。

 

・大谷くん問題

日本の社会文化 ネオテニー(幼いままの成体)みたいでキモい

社会の原理原則 抜群な才能で世界に名を馳せた大谷くんの努力すら評価していない

→この場合も、日本の文化にあるあるの凡百による嫉妬です。悔しければ努力して成長してください(社会の原理原則)。

 

・義務教育不要問題

日本の社会文化 義務教育は苦痛な時間が多くて非成長になるからいらない

社会の原理原則 義務教育は近代国民国家、社会で生きるための最低限のインフラ

→苦痛だから不要は効能を評価していないので論外(日本の社会文化)ですが、中には国民国家が滅びるみたいなグローバル化夢物語を語る人が多いです。しかし、社会の原理原則からして、国民国家がなくなるというのは幻想です。

これは、高学歴ブランド論でもまったく同じ話なのですが、人は人と社会で争う生き物である以上は、権威の証明は必要不可欠になります。

 

ということで、だいたい炎上になったり揉めている話は、この分類で落とし所が見つかってしまうので、ぜひ使ってみても良いでしょう。

多くの場合は、日本の社会や文化が社会の原理原則とズレていることで起きています。

しかし、中にはいじめだったりパワハラやセクハラだったり、社会の原理原則より文化を優先させる場合もあります

また、日本の法律も社会の公正を保つことから、多くの場合で弱者を救済する観点で構成されています。

絵で言う空間のパースと同じ考え方ですが、「ものさしを作ってみる」と非常にシンプルに問題の処理ができます。