忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

やみくもに前提を疑っても仕方がない。

ビジネスに「前提を疑え」といううたい文句がよくあります。

たしかに、需要を生むためには、今までの社会に新しい提案をして…というプロセスが必要なので、考え方としてはよくわかります

かく言う私も、前提の疑うのはめちゃくちゃ得意です。

しかし、「前提をひっくり返して回ることでポジションが欲しい人」というのが存在します。

この手の人たちに共通するのは、「疑う必要や意味のない前提を疑ってかかる」という点です。

しかし、「すでに上手くいっている」ことに対して、爪痕を残そうと必死になり、やたらに必要のない批判を繰り返す頭の悪い人が、世の中にはそれなりにいます

前提を疑うのは、より良い目的を達成するための一つの手段ではあるものの、それを目的にすべきではないです。

 

たとえば、

「大学受験は、私大3教科で切り抜けよう」

と考える人は世の中にとても多いのですが、

「でも、せっかく勉強することになるなら上位国公立狙いで5教科7科目やってやろう」

と考えるのは、機会損失を避けるとともに能力が向上するので、「良い前提の疑い方」です。

 

しかし、

「人を殺してはいけないのはなぜ。国家が人を殺しているのは事実」

と考え、

「そもそも世界はデタラメだ。この世には悪いやつがいて支配されている」

みたいに考え、陰謀論にハマる人はそこそこいます。

 

例の都立大教授が襲撃されたのも、「そもそも前提を疑え」というタイプの人で、それで商売をしている人なのですが、「それが世間に求められているか」というと、「それは違う」という話になります。

 

たしかに、前提を疑うのは学者や科学者など頭脳が優れた人たちの得意領域です。

「高齢者は集団自決せよ」も同じですが、例の彼にも「日本は世界有数の社会福祉国家」であるにも関わらず、その前提をぶち壊してまで、予算や利権を自分のところに取りたいという野心があったのかもしれません。

仮に、そうだとします。

そうであるならば、合理的で客観的な理由がなければ通るどころか、もしかすれば、その発言者自身が社会的な抹殺対象になりかねません

こんな当たり前の話もわかっていない頭の悪い人が多いので、注意しましょう。

うっかりオウム真理教」とかに行きがちなタイプの典型です。