忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

2種類の合理性。

多くの人が合理性と聞くと、「行きたいところがあって、そのためになるべく速くて安いルートを選ぶ」のようなことを考えると思います。

これは、「目的合理性」と呼ばれるもので、「目的達成のための合理性」を追う考え方です。

いわゆる一般に言われる「合理性」とは、このことを指しており、主に理科学系で多用される考え方です。

さて、オウム真理教に入信し、幹部になったのが高学歴の理系エリートばかりだったというのは有名な話ですが、これは彼らが目的合理性のエリートであったということでもあります。

しかし、一方でなぜテロのような行為を実行するような宗教に心酔してしまったのかは、多くの人が謎のように思いました。

たとえば、理系の人に割とありがちですが、計算して合理性を突き詰める訓練ばかりしていると、ナチスのような思想に傾倒するようになる人が一定数出てくるのです。

では、なぜこういう人が出てきてしまうのかというと、もう一つの合理性に欠けている人が多いせいだったりします。

それが、「価値合理性」です。

つまり、「人の生命は経済的価値に代替できない(してはならない)」、「倫理なき科学であってはならない」など、普遍的な価値の追求に合理性を見出す考え方です。

人にとって重要な「価値合理性」を、輪廻だの解脱だので書き換えてしまったのが、オウムというカルト宗教だったというわけです。

また、ナチスの優生思想も、この書き換えの口実だったわけです。

そして、この「価値合理性」は「目的合理性」をはるかに上回る強力なパワーを生み出します。

たとえば、かつて日本がアメリカと戦争しましたが、日本の戦争目的は「世界の植民地支配における隷従や圧政、差別をなくそう」(これは今の日本国憲法の前文に書かれています)でした。

当然、日本の戦争のやり方は論評に値するレベルではないくらい酷いものでしたが、それでもアメリカや西側世界は戦後アフリカなどの植民地を解放し、そういう支配は一切やめるべきだとなったのです。

欧米から見る武士道は、「王家を守るために誓約する」騎士道とは異なり、「強さのために闘いを求める」というもので、非常に不気味に見えるようです。

その不気味さを感じてしまった西欧諸国は、「植民地のやり方は無くさざるを得ない」と判断したわけです。

ということで、ベトナム戦争でもアメリカは負けていますが、「価値合理性」というのは、一般には非合理的で、一見おかしなように見えますが、非常に強力なパワーと結果を生むわけですね。