忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

弱い立場にある人を救うために

最近の風潮として、強い立場にある人が無責任なことをやってあとは知らんふりということが多い気がします。

強い立場にある人は影響力があるため、弱い立場の人が不利益を被っても誤魔化して逃げてしまうわけです。

しかし、そもそもこれを放置している社会も、それを傍観している第三者も、実際には加害者側の味方していることになります。

先日も某芸人が亡くなられましたが、「自殺を美化してはならない」とか「くだらない死に方をした」など、本来ならばその場でかけるべきではないことを公然と発言して、ここぞとばかりに自らの立場を優位にしようとする人ばかりです。

死人に口なしと言わんばかりです。

もちろん、芸人なのでそういう芸を行うのがお約束でしょうし、プロとしては失格かもしれません。

だからと言って、寄ってたかってここぞとばかりに追い詰めて良いわけではありません。

亡くなった本人には、色々と個人的な想いがあったはずです。

さらに言えば、残された遺族、親族は一体どう思うでしょうか。

私は、こういうノリで他人を追い詰めて勝ち馬に乗る人たちのことを心底から軽蔑しています。

というのも、主観的には当事者のいじりであっても、自殺が起きたということは、死人が出ているわけです。

本来ならば、たとえ芸人だとしても業務上過失致死傷などで捜査をされねばならぬ案件です。

憲法では、身体の自由のほかに精神の自由も保障されているからで、精神の自由の侵害案件だからです。

また、私人間でのいじりやいじめで死人が出た場合は、確実に刑事捜査により、加害者は責任をおうべき案件となります。

影響力により、立場が強い人たちが、関係ない第三者とともに、寄ってたかって立場の弱い人を自分たちの勝手なノリで追い詰めては決してなりません。

弱い立場にある人を救うためには、積極的にこのような動きに対抗する手段を私人間で作って、しっかりと制していく必要があります。

間違っても、弱い立場の人を寄ってたかって追い詰めて良いわけがありません。

やられたものに寄ってたかってみんなが勝ち馬に乗るからこそ、逆に今度はそういう人たちをやっつけてやろうというテロリストのような人たちも出てきます。

そうでもしないと、その場を制することができないくらい、被害者が悲惨な目に遭っているからです。

こうした弱肉強食をあきらめてみんなで放置するようでは、猿の世界と同じです。

私たちはそういう世界に住みたいのでしょうか。

私は決してそう思いません。