正しさは変わっていく
某有名大物芸人をはじめ、援交で有名な某大学教授など、様々なスキャンダルがすっぱ抜かれて、苦々しい思いをさせられている様子です。
これは、平成のころに受け入れられていたものが、令和になってもう通用しなくなったことを意味します。
たとえば、某有名大物芸人のせいで、いじりやいじめが陰湿化したなどの話も出ています。
もっとも、芸人が悪いわけではなく、その仕草をマネする国民がバカなのが悪いのですし、統計を取っていないのでそのように判断は出来ないです。
しかし、社会の空気は変わるでしょう。
正しさ=社会の空気の基準が、時期により変わっていくということです。
理系思考の欠点
自然科学とは、自然界に存在する法則を見つけて普遍の真理を探求する学問です。
しかし、現実社会は正しさが刻一刻と変化します。
もちろん、道徳や倫理など普遍(としなければならない)性を帯びた考えは存在しますが、一方で社会は人が活動しているので、正しいと思われる価値観はどんどん変化します。
たとえば、中世では領主や王に仕える人が正しかったわけですが、現代は個人の時代になったわけですから、前者は奴隷と見下げられる存在になりました。
国語教育の重要性
現代社会は基準が変わっていくので、善悪の基準を引いて何が正しいか、何を正しくないかとする思考をやめるべきでしょう。
この判断力を強めるのが国語力です。
たとえば、真理を見つけて甘んじることに慣れてしまうと、「実績を出した人が言うことだから間違いない」「優秀な人が言っているから正しい」と誤解をしてしまいます。
もちろん、そういう確率は高いのですが、何が正しいのかはよく検討と検証をしないとわかりません。
必ずしも、先人の御意見が正しいわけではありませんし、意外な真実は別の所から出てくるものです。
このような状況では、ますます国語教育の重要性が増していくのです。