「クリエイターは実家が太く、器が小さい」ツイートに1万いいねがありました。
このツイートの内容も大概ですが、いいねが1万いいねがあるということは何がしかの関心があるということですから、何となく理解は出来ます。
しかし、これはどの仕事にも言える話ではないでしょうか。
そもそも、器が小さかったら、歴代クリエイターたちの作った作品群が、時代を超えてまで有名になるはずがありません。
クリエイターという仕事を、とてつもなく甘く見過ぎでしょう。
仕事について言うなら、どんな仕事でも、ある程度実家がちゃんとしていなければ、どの仕事にも就くのはそれなりに困難になるのは事実です。
だいたい、クリエイターなんてものは免許制でもなんでも無いので、「やれるもんならやってみろ」という話になります。
「特定の仕事についている人を僻んでいる」と見れます。
格闘家に僻む喧嘩自慢やスポーツマンみたいなものと同じです。
松本杏奈さんの炎上の件もあった通り、日本人はとかく理解が及びづらい範囲の他人を僻み、集団で叩きたがります。
これは、知能が不足していると言わざるを得ません。
想像力が足りないとも言えるでしょう。
少なくとも、クリエイターを「虚構を演出して他人に偽る」程度の解像度で見ている人に、クリエイターには到底なれません。
そんな甘い仕事ではないから、みんながみんなクリエイターではないわけです。
更にがっかりしたのは、教育者を語る人まで、このツイートにいいねボタンを押している始末です。
私には理解が出来ません。
一体どういうつもりで、教育者を名乗っているのでしょうか。
私には少なくとも、こういう人を教育者とは思えません。
教育にながく関わっていた身からすれば、今すぐ教育者を語ることすらやめてほしいと思っています。
教育界の恥さらしにみえるからです。
これでは、教育を隠れ蓑にして個人の感想をつらつら述べているだけです。
本当にがっかりしました。
私はこの程度の人と関わっていたとは、思いたくないです。
陰謀論にハマったり、なにか不都合なことがあると柔軟な考えと言い訳して逃げたり…。
これではうまくいくわけがありません。
日本はそういう国だからこそ、今の体たらくなのでしょう。
クリエイターがどうこうの前に、もっと基本的なことが抜けていると思います。
例にもれずに、いいねしていた人にことごとく当てはまるのではないでしょうか。