忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

型通りでも話は通じない。

「自称話上手」に多いのですが、やたらと同じ話をする人がいます。

聴いてる方は眠くなりうんざりしているのですが、実際には愛想笑いをしているという感じだったりもします。

話が下手なのに、型を覚えて上手くなったと勘違いしている人がわりと多いです。

 

さて、どうしてこのようなことが起きるのかというと、型に頼りすぎているからです。

もちろん、人になにか伝える際に感情を起点にするのは大事ですが、相手が同意できない、そう思わない場合も当然たくさんあります。

 

「月曜の朝は憂鬱ですよね。僕も学校に行くのが面倒です」
「しかし、最初は面倒なことでも、はじまってしまえば楽しくなります」
「これは勉強も運動も同じことです」

 

いやー‥

これで聴きますかね。

私はダメだと思います。

 

では、この型のダメな点を指摘しましょう。

 

まず初めですが、「〇〇ですよね」には同意できないことも多々あるということです。

たとえば、「いえ、月曜朝の方が頑張れます」という人もいることでしょう。

つまり、一般論と思いこんで本人は発話しているかもしれませんが、同意を得られるかというと少し難しいところがあります。

この場合、共通して観察できる現象などに喩えると良いでしょう。

天気の話などが典型です。

あるいは「〜ですよね」は、「いやそう思わない」があるので、「こういうときに私はこう思う」などと、自分のことを話すと良いでしょう。

 

次に、「しかし、始まってしまえば…」というところです。

「学校は面倒なこと」という前提が存在します。

これも、そうは思わない人がいるということです。

「コツコツ学校に行くのは割と楽しい」という人も割といたりもします。

 

最後のまとめの「同じです」は、いくらなんでも無理やりすぎます。

唐突なので、何と何が同じなのか意味不明になりやすい次第です。

 

このように、この型の欠点は一方的な演説になってしまうことです。

飛躍が多く唐突な印象が強い。

眠くなる退屈な話というわけではないにせよ、「あぁ、コノヤロウまたくだらん話を始めやがった」というように、相手にストレスを与えてしまうものにもなりえます。

 

なので、たしかにこういったある程度の型も大事ですが、ワンパターンに感じさせないような工夫が大切です。

あくまで相手の立場や思考は複数形で存在します。

そして、意味もなく話が長いと、相手に寂し紛れに話されてると思い、不快になるものです。

 

この辺もバランス感覚と語彙力が必要です。