極端な話をするのは気持ちいいんだろうが、話なんていくらでもなんとでも出来る。グダグダした話に意味はない。
学校は間違っている。政府は正しくない。
こういう話は非常に快楽が強い。
なぜなら、みんなが間違っていると見下せる根拠を作る作業だから。
最近で言えば、「ネットで真実★」というやつだ。
でも、実際には学校も政府もほとんど正しい。
振り返って見れば見るほど、ほぼ正しい。
正確に言えば、多くの人が関わっているから、その都度是正の圧力がかかるため、正しく保たれやすい。
だからこそ、いまだに永く存続しているとも言える。
多くの人は、まあだいたい間違っていなかったなと、後になって知ることが多い。
これは、権威主義とは違う。
ちなみに、権威主義というのは、権威に盲目的であることだ。
例えば「なんでも若いほうが良い」というのはよく聞く話だ。
これは歳をとった人にとって都合が良いから、そうやって言うわけだ。
でも、実際には若くてもうまくいかなかった人が多い。
権威に陥らないためにはデータや事実から確認すること。
確認を取れれば、もはや盲目ではない。
思考停止しないための思考停止が存在する。
それを陰謀論と言います。
「無意識に悪いことしてしまいましたー。善人です」そんな訳あるかという話になる。いやいや、そうはならないだろ。
ものごとは複雑なはずですが、だからといって何でも正しいわけではないです。
「善悪相対論」は、悪いことを自覚的にしている人がよく言い訳に使います。
「マンガアニメなどは、つまらない虚構に誘い込んで現実から目をそらさせ…」。
それは観る人の自己責任です笑。
普通、そこまで人を気にはしません。
こうやって屁理屈をごね過ぎると、善悪理非の区別がつかない廃人になってしまう。
善悪というのはおおよそ存在しています。
「人を殺してはいけない」というのは、おおよその善です。
「おおよそ」ということがわからないのも、また思考停止。
柔軟性ばかりに気を取られていると、あっという間に平成のテロリスト教団みたいになってしまいます。
実は、陰謀論みたいな話に理系がのめり込みやすいのにも理由があります。
例のサリンをばら撒いた教団には理系が多かった。社会で言われる「おおよそ」が理解できないからと思われます。
非現実な仮説や抽象論にのめり込むあまり、目の前の現実が分からなくなってしまった。
自分は善をやっていると思い込む悪人。
教育者を名乗る人が、あることないことデタラメを言うのは悪に思われます。
非現実な虚構を演出するより余程たちが悪いです。
まあ、このへんって高校生あたりにはとっくに理解して気付いていないとおかしな話です…。