忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

「俺か、俺以外か」

多くの人に世話になったとか、一人の力で上達できるほど甘くないとか、人生はチーム戦みたいなことをいう頭の悪い人がいまだに大勢います。

彼らの根底には、能力が高い人に対する強烈な嫉妬があります。

ナチスヒトラーなんか典型的でしたが、彼は中途半端で無能すぎたのでユダヤ人に凄い嫉妬して、ユダヤ人を差別してガス室でブチ殺しまくってしまいました。

彼は無能すぎたので、いまだに彼のせいで現代ドイツは戦争責任に問われ続けるハメになってしまいました。

逆に言えば、ユダヤ人のように能力が高い人は、一人でなんでもやってしまうものです。

私が学生時代のときにも、似たようなことを散々聞かされましたが、結局のところ上手く行ったのは自分ひとりで淡々とやっているときばかりでした。

私なんかは、物理的にも学力的にも高い能力がありますから、人から困らされたことはたくさんあっても、自分ひとりで困ったことはあまりないです。

要するに、他人なんてほとんどあてにならないです。

世界チャンピオンが、一人で淡々と努力していなかった話を聞いたことがありませんし、これは真実でしょう。

 

また、広い意味で言えば、多くの人に世話になっているというのは、それこそ全員に当てはまることであり、わざわざ取り沙汰して言う必要がないです。

例えば、電気や水道は誰かが引いてくれたものだし、鉄道や道路だってそうですし、そこにお金を私たちは払っています。

で、これがチーム戦だとか、一人で生きてるわけじゃないみたいにわざわざ思うのかというと、そんな恩着せがましいことを考えていたら、それこそ狭苦しい考えで何もできなくなります。

また、技術は発達していますから、こういう仕事もどんどん機械に置き換わるでしょう。

ということで、私は能力もセンスも抜群なために常に「俺か、俺以外か」で考えています。

「俺以外」のものごとについては、正直どうでもいいです。

私に喧嘩売ってくるなら、返り討ちにして終わりです。

 

社会は、学校の学級会ではないです。

社会は、間違ったことを言ったり、やっている人と一緒にいるべきではありません。

社会に出たことがない人は、基本的に社会を学校だと思いたがりますが、社会は学校の真逆です。

仲良しで戯れるのが好きな人が多いみたいですが、仲の良い人からの情報はたかが知れているので、何のプラスにもなりません。

「みんなで同じことを考えようね」みたいな、小学校みたいな発想からは卒業すべきでしょう。

日本が極端なまでに、労働生産性が低いのも頷けます。

時代に逆行するような思想をばらまくのが教育だと思っている人が、日本に未だにたくさんいるから、下らないことを推奨するんでしょうね。