「「学生運動」を「美しい思い出」「美化」「失敗したけど意義はあった」とかいうの自由ですけど、暴走族が昔暴走して繁華街で暴れたことを武勇伝として語るのと「何一つ変わらない」と思う」という意見がありました。
意図はわかるんですが、ここにいいねとRTやリプが山のようにあり、醜悪だなと思いました。
学生運動が家の資本がないと出来ないのはその通りでしょうが、そもそもスポーツだって学問だって家の資本が無いと出来ません。
その資本を元手に「〇〇ばかりやって」と怒り狂う人って世の中に意外に多いんですが、これは他人の足を引っ張る思想そのものです。
なので、これを肯定してしまうと、「何かをすること」そのものを否定しかねません。
もちろん、「間違ったことをやっているから叩いている」という人もいるんですが、やるかどうかは本人が決めることですし、当時からすれば彼らなりの必要性もあったのでしょう。
なので、学生運動が意味がなかったとしても、少なくとも足を引っ張る大衆よりはマシという結論になります。
暴走族とは関係ありませんが、私にはかつて夭折した不良の友人がいました。
私は普通の人よりもむしろ不良の人のほうが気持わかることも多々あったので、彼らをあまり悪くは言えないです。
彼らは、個人的な事情があってそうなっている場合も多かったみたいです。
私もそういう子たちとも付き合いあったので、私も他所から見て不良というカテゴリー(少なくとも校則はギリギリだった)になるのかも知れません。
ということで、言いたいことは分かるんですけど、「今の時代の常識で昔を裁く」みたいなことをしてしまうと、僻んで嫉妬しているようにしか見えません。
何かやってきた過去を否定してなかったことにしたがる思想も、世界中で日本だけでしょう。
日本は、ちょっと外れたことをすると、途端に叩くという文化だけは変わっておらず、これが一番良くないよなと思う昨今です。
「気に入らない風潮だったよね」という気持ちはわかるものの、国葬反対問題と同じく、単に黙っていればいいと思うんですよね。