忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

有名人が作品で扱いづらい理由。

最近、たまに有名人が看板のコンテンツを見かけます。

しかし、この手のコンテンツはだいたい長続きしません。

理由として、まず有名人はキャラを売りにしています。

要するに、「世間からどう見られているか」「世間から何を求められているか」という需要が決まっているわけです。

こういう決まったキャラクターというのは、非常に作品では扱いづらいです。

いわゆる、「いつでもその話しかしない大喜利芸人」としてしか、作品内では扱いようがないからです。

そのシチュエーションをわざわざ用意してやらないといけないからです。

なので、「一発芸型のギャグ漫画」程度ならなんとかなるでしょうが、基本的にどんどん作品内で扱いづらくなり、だんだん空気になる宿命を背負っています。

また、実在の人物だと、やはりさまざまな利害関係が絡むため、実際のリスクも非常に大きいわけです。

とくに最近は、裁判や人権問題など何かと騒がしい世の中です。

有名人が作品にならないというより、有名人が作品内で極端に扱いづらいから、というのが理由でしょう。

その苦労の割には、面白い作品にならないのです。

また、有名人を題材にして作品を出している人は、やはり作家としても下のほうに見られます。

実力がないからやっているんだとみなされます。

反対に、完全なるフィクションなら、世界観などを1から都合よく設定できるので、作品がやりやすくなるのもあたりまえです。