忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

「理屈が通るかどうか」と「許されるべきか」に全く関係はない話。

多くの日本人は「理屈通っていれば許すべきだ」「理屈が通っていないから許せない」という話をしがちです。

例の飲食店騒動も似た話が延々と繰り返されていますが、これはこの「二者択一」ばかり考えている人が多すぎるからです。

しかし、「理屈が通ること」と「許されるべきか」とは、本来全く関係がない話なのです。

なので、「理屈が通っていないから許されない」という怒りは分かるものの、「理屈が通っていなくても許されること」は世の中にたくさんあるし、「理屈が通っていても許されないこと」もたくさんあります

例えば、「理屈が通っていなくても許されること」としては、タバコや酒で迷惑行為が日々多発していますが、合法であり根絶はされていません

「理屈が通っていても許されないこと」としては、ガラガラの車道だからと言って、スピード違反して走っていたら、まず危険な目に遭う人は想定されないのですが、やはり違法なのです。

今回の飲食店騒動も、「理屈がいまいち合わない」ように多くの人が思ってしまいがちな件で、だからこそ「許されない」と主張する人が多いです。

当然、理不尽ならば問題を主張するべきではありますが、一方で本来それは全く関係のないことでもあるのです。

歴史で見れば、理不尽な身分差別や不当な扱いなんてほうが古来の日常であったわけですし、一方で、自由や平等が叫ばれはじめて多くの人に意識されていったのも、まだまだ歴史が非常に浅いわけです。

ということで、理不尽なことが世の中にまだまだたくさんあるのは事実ですが、それを少しでも解消していくために、日々多くの人が活動しています。

そもそも、飲食店騒動についてなら、「理屈が通るか」「許されるかどうか」は司法が決めることです。

にも関わらず、今回の件でも立場を問わず、様々な頭の悪い人やおかしな人が、「もっともらしそうなポジジョントーク」で、ひたすら騒いでいるだけだということを知っておくと良いと思います。