「厳しい一言」というのは実に便利な表現です。
例えば、自分の責任で不祥事があったときに、
・「部下に厳しい一言をあえて言ってやった」
と言うことにより、「こう言えば、きっと周囲が納得してくれる」と甘い期待ができるからです。
しかし、時の流れははやいもので、最近こういう表現はやたらに忌み嫌われる風潮になっています。
広告業界、芸能界や自動車業界などから、相次ぐ不祥事が報道され、国民意識が変わっているからです。
つまり、「甘い期待がある」ことがほとんどの人に見抜かれ済みです。
相変わらず業界関係者たちは、世の中の流れを無視して「厳しい一言」とやらを下に言い続けているので、ここも反感のポイントです。
したがって、この手の「厳しい一言」が、かえって自身の『能力がない証明』になる場合がほとんどです。
国民からは、「『厳しい一言』に甘えて逃げ続けたのは、お前たちの方だろ!」という声がひっきりなしに上がるようになりましたから、直にそういうことももう出来なくなるでしょう。
アメリカの司法では「企業に対する懲罰的損害賠償」という制度があり、化学薬品メーカーの汚染物放流もこれで一気になくなりました。
日本もそうした制度を導入する時期に入ってきているのでしょう。
昔はこうだから…、という話は通用しなくなっています。
※
ちなみに、私が他人に「お前教えるの向いてないよ」などと、「厳しい一言」を言う場合がありますが、これは別の話です。
これは、率直にそう思ったから言っているだけであり、政治的意図などはまったくないがゆえに、素直な感想です。
ただ、日本人は素直に言われると、論理的に抗議をするのではなく、腹を立てて衝動的・感情的になったり、ショックを受ける人が多いみたいです。
でも、私は率直に言いますし、そういう人間なので、私の話は大体の場合で当たっています。
例えば、私が「教えるのが下手だ」と言った人は、例外なく教えるのが下手くそです。
私の発言があまりに率直すぎた結果、腹が立ってしまって、突然おかしなことをし始める人を、私は少なからず見てきました。
ただ、私はそういうメンタルが弱くて感情的になりやすい人たちのことを、「私の表現が良くなかったな」と反省はしますし、改善もします。
ただ、いちいち深刻に気にしたりはしません。