忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

他人の表現物ばかり見てると「ラーメン評論家」になる。

私は、昔からあまり他人の表現物に興味がありません。

というのも、それはしょせん他人が作ったものだからです。

しかし、世の中には、他人の表現を見ては、それをわざわざ別の他人のところに持ってきて、その相手を評論したがる人がたくさんいます。

私から言わせてもらうと、「こいつは、こんなことをしていて、一体何が楽しいんだ…」という感じで幻滅です。

うちの親もそんな感じでしたが、私の場合は小さい頃から親を徹底的に反面教師にしているためか、幸いながら、どうやっても似ても似つかない性格です。

というわけで、他人の表現物にばかり気を取られがちな人は、自分がモノを作るチャンスをどんどん失っていると思われます。

そういう人に限って陰謀論など意味不明なオカルトに陥りがちなのですが、はっきり言ってどこまでも自分を見失いすぎです。

自分を操縦するのは、どこまで行っても自分自身でしか無いのです。

他人の操縦が気になってしまって、操縦するのがつまらない、苦痛であるのなら、もうずっと他人の創作物だけを見続けていれば良いと思います。

私は、「〇〇展」みたいな展覧会もあまり好きではありません。

もちろん、そこでしか見れないものがあれば仕方なく行くこともあるかも知れませんが、基本的には意味がないことだと思います。

ましてや、展覧会でドヤ顔してピースの写真を撮っている人はマジで論外です。

他人の表現物ばかり見がちな人は「ラーメン評論家」と同じです。

ラーメンを作ることに興味があるのか、ラーメンを評論するのに興味があるのか。

この2つを混同する人があまりにも多いので、注意したほうが良いでしょう。

当然ですが、この2者が気が合うことはありえません。

ラーメンを作るために作戦や構想、思考に試行錯誤…と準備を常に重ねている人と、ラーメンを喰っては上手いマズイなどとお気楽に評論だけをする人との間には、残念ながら天と地ほどの差があります。