文化と市場経済について、ズレた発言をして炎上している人や、悪意で意見の揚げ足取りに躍起になっている人がいるので整理します。
まず、市場規模を金額ベースで比較しても仕方ありません。
二次元コンテンツは、三次産業であり、ジャンルの違う二次産業と比較するのは意味がないですし、これで盛り上がっている人は頭が悪いです。
また、非クリエイターの視点とクリエイターの視点はまったく違います。
実際、クリエイターでもなんでもないやつが、プレイヤーとしてのクリエイターの論理を市場経済に持ち込んで偉そうに語るのは笑止千万です。
「野球2軍は雑魚だから今すぐやめてドカタやれや」とかは完全に間違えですし、クリエイターにもドカタにも失礼千万です。
非クリエイターの論理《文化と市場の話》
裾野の広さ、多様なクリエイターにより、参加人口が流入。作品や技術が層のように蓄積していき、市場全体が広がり、文化圏となる。
どんな才能の人も歓迎、能力やランクは関係なく必要な人材。
選択と集中はナンセンス。
クリエイターの論理《参加者としての話》
トップ以外に価値も意味もない。どの分野にも明確なほどに才能で決まる。ノウハウやらなんだかんだあるけど、結局は才能が9割。
才能は確実に存在する。己の才能を見極めよう。
この二つは矛盾せずに両立します。
矛盾する2つの話は、視点を変えると成立する。
よく私に矛盾した話をしているとか指摘してくる、頭の悪いザコが湧いてきます。
私は話すときは、かならず視点の使い分けをしています。
《カメラの位置が違う》のです。
たとえば、
〔距離を離して文化の市場全体を撮影〕
→非クリエイターの論理
しかし、
〔私=文化市場のプレイヤーとして撮影〕
→クリエイターの論理
となります。
矛盾した2つの話は、どこを視点としているのかにより、簡単に両立します。
陰謀論者は、この「視点が違うと見え方が違う」ことが、まるで理解できません。
頭の悪い人ほど、私がまったく矛盾している逆の話をはじめた、などと混乱し始めます。