浅いものの見方しかできない人は、「絵のパーツの良いとこ取りしよう」程度に思ってしまうらしい。
まあ、それで満足するなら、それでも別に良いのだろう。
私の場合は、「この絵描きが、これを描くときに何考えているのか」という洞察をする。「こういう判断をしたのか」という、その瞬間の視点を盗む。
この視点は、絵の鍛錬の最中に私が気付いた視点だ。
よくはびこる師匠という言葉も好きではない。
私は、誰かを師匠なんて思ったことは一度もない。
大したことない人が権威に甘んじたいだけの都合の良い言葉だ。
私は誰かに絵に関するテクニックはともかく、根本的な考え方を教わったことは、実は一度もない。
師匠と思った瞬間に、そこを超えられなくなる。
だから、衰退するんだと思う。
武道はともかく、格闘技の世界に師匠という言葉はない。
それは成長を阻害するからである。
師匠という言葉には、「私が面倒を見てやったのに」という意味が入る。
ゆえに、この言葉は非常に良くない。
芸事に権威は大敵である。権威は思考停止を産む。
芸事というのは、考え方を作業や鍛錬を通じて自分で作る作業のことである。
ゆえに、クリエイターにとって、先生や師匠などという存在こそが、実際には一番に忌むべき存在にもなる。
つまり、師匠や先生というのは「たかだか基本指導者」くらいでちょうど良い。
芸事の世界とは、「一芸一人」の世界。
集団作業はいざ知らないが、クリエイターが自由なのもそういう理由。
私も、最初から実はそういうつもりでやってきた。
それを「偉大」だの何だのいうからこそ、おかしくなってしまう。