国語力は空気を読む力ではない
読解力のことを「空気を読む」「お気持ち推測」などの意味で使う人が、SNS上にたくさんいます。
しかし、これは読解力でも国語力ではありません。
SNSの連中がやってるのは、国語力がない連中の邪智邪推です。
根拠なく、相手がこうだああだと決めつけて騒いでいるのです。
要するに、デマを広めて他人を批判したり貶めたりというクセがついている人ばかりです。
日本人の9割以上がデマばかりに依存して、「ちゃんとした国語力」を身につけようとしません。
彼らは国語力を身に着けていると思いこんでいますが、実際には国語力を身につけるにはトレーニングが必要です。
学生サークルのノリからいつまでも脱せない「幼稚な」大人たち
酒場でウェイウェイ喧しく騒ぐ学生は、一般的な風景になりました。
中高年でも、そういうみっともない大人を、よく見かけたりします。
相手の話を論理的に聞き取ったり、論理的に発言をする習慣が、日本人から徐々に消えてきています。
論理の分からない頭の悪い人は昔からいましたが、社会からはきちんと弾かれました。
しかし、今では仕事の場面でさえも、このような言動や挙動がおかしい人が随分と増えてきています。
日本人の国語力が明らかに低下してきているのです。
レスバなどみっともない話し方(これを「議論」だとか思い込んでいる頭の悪い人が増えています)が流行るのも、その象徴です。
国語力は論理的思考そのもの
国語力とは、「文章・会話の論理構造をきちんと把握し、得られた情報を整理し要約して、客観的に伝わる発信をする」ことです。
そもそも、国語は本文の文中から根拠を見つけて、そこから考えられることを答える科目です。
つまり、「書いてあることから読み取る」わけですから、評論文でも小説でもまったく同じように読めていないとおかしいです。
「書いてないことを勝手に読まない」「勝手に解釈しない」こと。
「書いてあることのみで思考する」「そこから客観的かつ論理的な思考をする」。
これは一見とてもつまらない読み方に思えるでしょうが、これがとても大切です。
社会に出たら国語力
社会に出たら、何かと根拠や証拠を求められます。
営業から裁判まで、常に根拠や証拠を第一にします。
これは、誹謗中傷やデマ、他者への不利益を未然に防ぐためです。
逆に、国語力がない人は
- 勝手に事実無根のデマを広めてしまいがちで、恨みを買い裁判になって酷いことになったり…
- ルールを都合よく勝手に解釈して、詐欺や欺罔行為、脱税や横領…など違法行為をしてしまったり…
そういう可能性が高いです。
国語が出来ないと数学も出来ない
国語が出来ない人は、本質的に数学も出来ません。
なぜなら、数学は、まず第一に定義。
次に条件がなにかという、確固たる根拠や証拠から考えていく学問です。
つまり、扱うものが文字か数字かの違いだけです。
逆に言えば、国語が出来なくて数学ができるというのは、どこか思考がおかしい証拠になるのです。