天才・凡人論争の勘違い
「才能があって環境に恵まれる天才」は世の中にかならずいます。
分かりづらいなら、たとえば大谷翔平さんをイメージしてください。
たとえば、生まれ持った身長や骨格は変えられませんし、家庭も野球をするのに良い環境だったはずです。
こういう運の良いエリートはかならずいます。
そして、運だけではなく並外れた努力もしています。
こういう人を天才と呼びますが、これは99.9998%の凡人がひっくり返ってもまず勝てません。
しかし、世間はこういう天才と凡人の闘いと、才能ある凡人との闘いを混同して捉えます。
たとえば、「東大理3以外カス」という話は炎上しましたが、ある意味では芯を喰っていて、凡人とて頑張ればなんとかなる領域というのも、社会には多数存在します。
むしろ、そういう人たちが社会を回しているのです。
トップを目指さない人は、総じてレベルが低い
もちろん、凡人とて才能は「ある程度」は必要です。
才能はある程度あり、その上で努力を重ねればなんとか届く領域というのがありますから、そこは頑張って取りにいくべきです。
ところが、最近はコスパとか「必死に頑張るのは良くない」という風潮があって、「必死に努力することをあえて避ける」ことが、成長を大きく阻害する原因になっています。
ここに、多くの人が気付けないです。
どうなったかの結果ばかり気にする人が多いですが、「出来うる極限まで努力した経験」があるかのほうが、社会ではよほど大事です。
まして、受験勉強レベルなら、勉強が多少「向いていないな」と思ったとしても、東大の理3以外なら、凡人でも必死に頑張れば入れるレベルです。
むしろ「進学校に在籍しているのに東大…などトップを目指さない」とか、この人はだいぶレベル低い人だなと思うし、失礼ながらその感覚は当たります。
社会にはびこる「1位を目指さない病」
必死に努力するためには、高い目標を持たないといけません。
最近の「どうせ勝てないんだから、このくらいでいいや」という風潮は大人にもまん延していますが、本当に良くない姿勢です。
2位じゃ…ダメです!!
断言できますが、凡人のあなたのような人が、まず必死に頑張らないで何も得られるものはないです。
「負けるのがカッコ悪い」からといって、競争を否定するのはおかしいです。
また、日本は「同じ枠の中で競争するのに慣れすぎている」みたいなもっともらしい批判を出来るような国ではありません。
海外の熾烈な競争、それこそズルや犯罪をしてでも上に上がってやるみたいな猛烈なモチベーションを持った人間が世界標準のレベルです。
何ごとでも、まず1位で当然です。
「負けるのがカッコ悪い」という考えを捨てて、「次はかならずやり返す」という姿勢を常に全面に押し出すべきでしょう。
現代の日本人には、意地や執念といった「剥き出しの闘争心」が圧倒的に足りません。
格闘技やってたら「負けて良いや」なんて口が裂けても言えないし、それ思った瞬間に先輩にぶっ飛ばされます笑。それに、天才が相手でも、「勝てないからやめます」なんてありえませんし、傾向と対策やトレーニング次第で充分に勝つこともありえます。
ヌルい人が増えて、私にとっては世の中が随分と楽になりました。