先天的なものをありがたがる傾向が日本人は強いです。
特に、美女イケメンから始まり、天才児やギフテッド、親の経歴が優秀、資産が著しく高いなど。
こういう要因で、たまたまうまく行ってしまうことも世の中たくさんあるのは事実です。
しかし、これをありがたがることは、その人にとっても社会にとってあまり良くないです。
というのも、生まれながらにして持った能力のままで成功してしまうと、そこに工夫だったり意図や思考、思想などはまるで生まれません。
貴族の子は貴族になるのと同じ、世襲制度のようなものだからです。
世襲が認められてしまうと、改善をしなくて良いようになります。
たとえば、プラスチックを紙に変えてしまうことで社会に苦痛や迷惑をかけても、そうだと気付かずに、でも出世するのは当然だよね、という感じになってしまうのです。
また、おもに先天的な資質だけで成功したりすると、知らずのうちにとてつもない恨みを買ったりします。
ということで、もう少し才能にだけ頼らずとも、後天的な努力でどうにかなるという事例を増やしていくべきでしょう。
特に最近の日本では、努力を極端に嫌う社会になっています。
「美女イケメンは性格が良い」という話も、決してあなたに対してだけ優しいわけではないです。
誰にも興味がない人ほど、博愛主義になるものです。
美女やイケメンは、とくに誰にも興味を持たなくても、芸能界からオファーがかかります。
つまり、「性格が優しい」のではなく、「誰に対しても興味を持つ必要がない」、「人に興味を持つ努力をしなくて良い」というだけなのです。
例として、美女やイケメンは「話がつまらない」のも、こうした理由があります。
このように、先天的な能力は悪い意味である種の呪いのようなものだったりします。
つまり、後天的に身につけた能力とは違い、「能力発動をオフにできない」というデメリットを背負っている状態です。
あまり言われてないのですが、「能力をオフにできない」ということで、人は不幸になることが多かったりします。