死刑で喜ぶ人たち
犯罪者の行為はどうであれ、同じ人間として同種の死を喜ぶようになっている人が増えています。
自分だけは優秀な人間と思い込みたいのでしょうが、残念ながらこういう人って全てが評価にすら値しない有象無象です。
なぜなら、原因究明や再発防止に精力を出そうとせず、ただ起きた現象に拍手をしているだけだからです。
凶悪犯罪者が死刑になるのは当然である一方、それを嬉々として茶化すのは、被害者をも侮辱しているのと等しい行為です。
自分がどれだけ愚かで醜い行為をしているかわからない人たちが、ネットSNSではやたら目につきます。
週刊誌のスキャンダルで喜ぶ人たち
これも同じことです。
「週刊誌の作り方を知っているかい? 」
「強きをけなし弱きをわらう。勝者のアラさがしで庶民の嫉妬心をやわらげ、敗者の弱点をついて大衆にささやかな優越感を与える。」
「これが日本人の快感原則にいちばん合うんだな。 だから独裁者も革命家も出現しないんだよ。良い国じゃないか、まったく。」
これはある漫画(「機動警察パトレイバー」の内海のセリフ)からの引用ですが、実際その通りですし、私もまったく同じ内容を先日ポストしています。
当然、独裁者や革命家なんて断じて許すべきではないですが…、それにしても醜いですね。
これは、オルテガ・イ・ガセットが100年前に言ったとおりでしょう。
ペドフィリア排除で熱意を剥き出しにする人たち
「ペドフェリアを排除せよ。死刑で良い!」などという主張をぶらさげて、危険な思想を持っているから「内心の自由」を制限し、相手を無制限に罰して良いという野蛮な人が、ネットやSNSで内心を剥き出しにしています。
しかし、こうした法律が施行された場合は、真っ先に「危険な思想を持っており、死刑執行の対象になるのは自分である」ことを理解出来ないわけです。
そもそも、内心の自由や表現の自由を制限して何ひとつ良いことが起きないことを知らないのは無知愚昧です。
品性に悖る人間が多い
上記のような「こういう人とは一緒にいたくないな…」という人が、最近は随分多いです。
そういう連中が増えているのか、元々そうだったのかは知らないのですが(まどマギの「ソウルジェム説」も見解としてあるようですが…いずれにせよ)、ネットやSNSでこういう発言をしていたり賛同している人は、無視したり、ときには排除したりはする(対処として、そうせざるを得ない)と思います。
こういう連中と決して同じにされたくはないですし、そもそも同じ人間ではない(というか、人間じゃなくサル)と私は思っています。
おまけ
米山さんは本当に優秀です。
「どうせ死刑になるんだから助けなくて良い」なんて、いい歳した大人が話すようなことではない。本気でそう思うのなら、先進国から一切の退場をすべきです。そもそも日本の死刑制度でさえ、野蛮だと海外から相当非難されているわけです。冗談にしても言っていい話じゃない。意味がわかりません。
ちなみに私が上記のようなことに気付いたのは10歳から12歳くらいの頃です。つまり、みなさんの殆どは、小学生の私より知能が低いと言えてしまうでしょう。