諦めるには2種類ある。
人生は色々あるので、諦めざるを得ない場面もあるかも知れません。
たとえば、私は大学受験のとき、あと一歩で志望校に入れた実力があったものの、浪人はさせてもらえませんでした。
つまり、志望校を諦めています。
しかし、だからといって「諦めるのが良いことだ」という意見には真っ向から反対です。
「諦める」のは基本的には良くない
基本的には、「諦める」のはあまり良いことではありません。
「諦めが悪い」のは、良いことです。
もし、諦めるにしても、比較的予後が良い諦めと悪い諦めがあります。
比較的予後が良い諦めとは、やるだけのことをやったということで、後悔がないパターンです。
この場合は、時間や予算の制約など、外部的要因でやむを得ないというパターンなので、悪い諦めとは言えないでしょう。
ただ、勘違いしないほうが良いのは、決して諦めるという行為は良くありませんから、あくまで次善策と捉えたほうが良いです。
次に悪い諦め方です。
これは、「どうせ、◯◯なんてできない」「いつも失敗するから、やる意味はない」「努力しても、結果は変わらない」みたいなパターンです。
「いや、やってみないと分からないよね」とはなれないのが原因ですが、世の中を見ていると、中々そう思うだけの根拠を見つけられない場合も多いです。
結局のところ、勝算を立てるだけの分析力だったり知識や学力が必要なので、誰しもが出来るわけではないです。
ただ、何でもかんでも諦めていると、いったい何をやっているのか訳がわからない人になってしまいます。
ということで、基本的には「諦めないこと」が戦略としてベターです。
「本当の最下層」を知らない人たち
だいたい、諦め続けて転職100回とか、何もなし得ないとか、そういう箸にも棒にもかからないような人って、世の中に本当に多いんですよ。
自暴自棄になって「無敵の人」とかになるならまだマシな方で、本当の最下層とか知らない人ほど、簡単に「諦めろ」とか言ってしまうんですよね。
スラム街でも歩いて、観察してくることをオススメします。
補足
「諦める=明らかにする」とかいう形骸化した言葉遊びは意味がないのでどうでも良いです…。
「諦める=明らめる」はサンスクリット語源の意味で、現代語とは意味がズレています。
言葉にも歴史があるので、同じ意味ではないですよ。
たとえば、古語と現代語の意味が真逆とかザラにあります。
まあ、古文単語は「怠る⇒怠ける⇒寝てれば治る」とか、無理やり理屈つけて覚えますが…。