すべての人が幸せになることを願うのは愚か
トロッコ問題が有名ですが、こうしたポエミーな理想論はともかく、現実は常に選択の連続であり、選ばなくてはなりません。
そうでないと、「加害者にも未来がある」のように、まず真っ先に被害者を助けなければならないのにも関わらず、優先順位やなすべきことが狂ってしまいます。
すべての人の幸せを願った結果として、皆ダメになるみたいな現象は平気で起きます。
たとえば、未来のために少子化対策を謳った元市長が、予算のインフラ費を削った結果、子育てどころではないマトモに住めないような場所になってしまったなんて、最近では有名な話です。
もしやるなら、事実としていくら使うとどうなるか、調べないとダメです。
自分以外、全て他人
自分以外は他人であるという意識は、とても大切です。
そもそも、自分には自分、他人には他人の価値観があります。
自分に耐えられることが、耐えられない他人もいます。
自分が美味いと思う料理を、不味いと思う他人もいます。
それが世の中であり、自分と違う他人をわかった風な口でバッシングすることに、まったく意味がありません。
他人の悪口を言うのは自他境界の病気
他人をやたらにバッシングするのが好きな人は、どこかで自分と重ねているのでしょう。
「自分も苦労している」とか、「自分はもっと辛い」とか…とにかく不安の埋め合わせとして、神経症的にどうでもいい比較にやたら興味津々。
依存が強すぎて、他人が反応してくれないと不安になる…もしかすると、精神的な病気なのかも知れません。
悪口やバッシングをしたがる人ほど、深刻な「自他境界」の問題を抱えているといえます。