共依存の人間関係
自分に自信ない人ほど、「自分を必要としてくれる人」を確認することで得る安心感(自己肯定感ではない)を、友情や恋愛の感情と勘違いするのです。
これは、すぐ同調してしまう癖がある人たちです。
実は、いまのSNSには非常に多くいます。
人は、性格と相性がよく、時間が経てば愛情が発生する生き物ですが、これは共依存と呼ぶものになる危険性もあります。
共依存は、「適切な」人間関係とは真逆です。
過度な家族関係ってのも、実は考えものです。
他人との距離感と境界線
他人との距離感と境界線が、健全な人間関係のバロメーターです。
健全な人間関係が出来ていない場合、相互が距離感をとらないか、境界線を引かせないように相手がコントロールしてることが多い。
こうした蜜の味的な共依存関係は、結局のところ良い結果を生まない。
健全さを身につけたら、それはくど過ぎて不味いことが分かります。
上下関係でも発生する共依存とは
「先生と言われたい」「目立って尊敬されたい」から先生になる人は、一定数います。
しかし、途中で目的が変わってしまって、「自分が偉い、正しい」みたいにおかしくなっていく。
そんな連中を随分と見てきました。
中にはそのまま出世していて、とんでもない「暗黒オーラ」を放っている人がいましたが、当然ながら誰も近寄らないです。
彼らは、自己客観視を出来ていないのが原因で、すぐに他人を攻撃したり贔屓に走ったりします。
そうやって外面の人間関係をはっきり固めないと、不安で仕方がないタイプです。
つまり、共依存を求めてさまよう亡霊、満たされない魂から、「暗黒オーラ」が出てしまっているのですよね。
それってあなたの成果ですよね?
かく言う私も、「先生のお陰で」みたいなことは、随分と言われてきました。
しかし、すぐにその場で否定していました。
これは何が怖いかと言うと、自分が少しずつ狂っていくことです。
気がつけば、周りに注意する人がいない…。
これを受け入れてしまえば、例の「暗黒オーラ先生」になる未来が待っています。
つまり、「どこかおかしい」のは本人でうっすらと気付いていても、「でも、何も言われていないから正しい」という「無敵の人」状態になるのです。
というか、そもそも「先生のお陰」じゃなく「本人の努力の成果の賜物」だから。
でも、これ、言えない人すごい多い。
そうしないと、教えた相手が自立できないんです。
※自分が褒められたいとか、そういう話ではありませんよ。
上下関係はどんどん変わっていく
生徒の方から「昔の恩がどうたら…」とか言って、たまにくっついて来るんですが、これは共依存であり、恩は忘れるくらいでちょうど良いわけです。
いまだに社会では、「親のおかげだろ」と威圧する親、そういう系統の気味の悪い連中ってたくさんいます。
8050問題とか職場のパワハラとか…、大御所芸人、有名教授と、本当に深刻な社会問題になっています。
彼らは自分がいつまでの社会の上であり、過去の教えた後輩たちは下だと心の底から信じてやまないのです。
しかし、時の流れは残酷で、教え子たちは成長し、やがてあなたを忘れて抜き去っていきます。
そして、社会はそういうものなのです。
つまり、いつまでも前のことを掘り返して、「〇〇先生のお陰でした」…というのは、もしかするとそういう精神面を疑った方がいいかも知れません。
襲撃されたり、不倫で懲戒されたり…。本人自身が自分のどこか問題があることに気付けないと、ずっと苦しいままかも知れません。