人によってコミュニケーションの捉え方が違う
事実を述べるだけの人、発言意図があると穿ってしまう人、意図は明確に言わないが意図をくんでもらうことがコミュニケーションと思う人…。
コミュニケーションに明確なルールはないため、どれも正解ではあるのですが、基本的に他人と接する場合、とくに社会では、まず「事実を述べる、捉える」だけにすることが最優先です。
積極的に意図を見出そうとするリスク
これは「世の中のルール」と言ってもいいですが、ネットSNSの連中は何にでも意図を見出そうとします。
しかし、これは本当に失礼極まりない行為になりかねません。
仮に、他人の発言に狙いや意図、真意があったとして、「それが分かるはず」って思ってる時点で、とても良くないことが起きる可能性があります。
たとえば、街中で人相の悪い男が一点を睨みつけていたとします。
ここで、事実だけを捉える人なら、「ああ、睨んでいるな」で終わりです。
一方で、ここに意図を見出す人は、「人相が悪い人が睨んでいるから、誰か狙っているに違いない」「暴力沙汰でも起こすのか」などと穿ってみてしまうわけです。
しかし、現実でそんな場合は滅多になく、ただただ生まれつき人相が悪い人も多いし、目がボヤけていたから睨むような顔になっていただけでしょう。
このように、狙いを読めると思い込んで他人に接触を図るのは、結果として非常に失礼になってしまう場合が多いです。
ましてや、ネットSNSにそのような書き込みや発言してしまうと、永久にそれが残る形になります。
場合によっては、これがきっかけでデマの温床になりますから、刑事告訴・告発や名誉毀損による損害賠償請求などの対象になりかねません。
狙いを読む方法はあるが難しい
それでも狙いを読みたいなら、その場合、かならずABC…など複数パターンの想定をして、なおかつそれを絶対に口外しないこと。
これが出来ないなら、一切口にするな、考えるなが基本です。
もちろん、私なら瞬時にすべてのパターンを計算できますが、技術的に非常に難しいです。
裁判の立証のように、自分で立てた仮説に合わせて、地道な証拠集めを続ける必要があるからです。
日頃の反応を見たり、こちらから仕掛けてパターンを消去していくと正解に辿れます。
しかし、こういう面倒くさいことまで綿密にやるならともかく、それ意外では、普通に事実だけ受け取ったほうが良いです。
穿って読んだところで間違っていたら、騒ぎになるだけで時間の無駄ですし、無駄に恨みを買ったり訴訟リスクを抱えるだけです。
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