言葉遣いがおかしい、言葉遊びをはじめる
国語力が低い人ほど、普通の言葉を「普通に使う」ことが出来ません。
例えば、アートという言葉を聞いたときに余計な意味を付与させてしまいます。
アートとは一般的に芸術のことですが、現代アートを想像して話をはじめてしまいます。
すると、周囲と言葉の認識がズレるので、諍いになりやすいのです。
造語を創ったり、専門用語を使う人も、その意味をその場できちんと他人に分かるように説明できるのなら良いのですが、残念ながら国語力が不十分な人がこういうものを使うと、言葉の認識がどんどんズレる原因になります。
言葉とは自他と認識を一致させる道具
そもそも、言葉とは、自分や相手と認識を一致させるためにあるものです。
「赤いリンゴ」と聞いたときに、「それはどのくらい赤い?」などは良いコミュニケーションです。
これは、相手と「赤いリンゴ」についての認識を一致させようとしているからです。
逆に、「いや、青いリンゴもあるよ」というのは、あまり良くないコミュニケーションです。
これは相手がわざわざ「赤いリンゴ」と指定していますから、認識を一致させる気がないわけです。
また、リンゴの色の研究をしているならこの限りではないですが、基本的に日常生活でコミュニケーションがズレるとは、こういうことを言います。
たまになら良いですが、あまりにも毎回こういう感じの反応だと、やはり疲れると思います。
先の例でも、こうした言葉の機能を無視して、勝手に現代アートの話をされても周囲は困ります。
会話が噛み合わない人は、こうしたことを無意識にやっているため、独り善がりになっていることに気付きません。
理解できる話かどうか
同じ言葉を喋っているはずなのに、言葉の捉え方がズレすぎてしまうため、トラブルが発生し続けます。
自分で発した言葉でさえ自分に対して矛盾を感じたりして、考えがまとまらないというケースも生じます。
「自分で何を話したのか自分でもよく理解していない」みたいな現象が起きるのです。
自分でよく理解できない話を、他人が聞いても理解できるはずがありません。
言葉の認識が一致しないと話し合いも出来ない
さらに言えば、言葉で議論をする場合なら、まずは論点を一致させなければならないので、言葉の意味に精密になる必要があります。
言葉を使うことで、相手と認識を共有して、はじめて次の話にいけるからです。
これは、数学でもまったく同じことで、数式を読み取ることで次の話題にいけます。
数学で、X=1をX=-1と読み取ってしまうと、数式の処理はできなくなるのは分かるとおりです。
このように、X=-1みたいな勘違いしてしまって、数式が解けずに何時間も無駄にした経験が、数学をやったことある人なら理解できると思います。
国語や日常会話でも、実はまったく同じことです。