道徳とは年寄りの言い訳である理由
道徳は年寄りが若者に殺されないようにする言い訳
普通に考えれば、力のない年寄りの言うことを若者が聞く道理はありません。
つまり、道徳というのはいわば年寄りの言い訳です。
言い訳を教えとして若い頃から刷り込んでおけば、自分たちに返報してくれるという甘い期待がありますが、実際に世の中はそうも行きません。
社会は若者が作るもので、老人は殺されてしまうのが普通の姿
社会は常に流動しているもので、必要な価値基準も刻一刻と変化しています。
それなのに、50年も前の話をされればそれは邪魔者である以外の何者でもありません。
なので、姑息な老人は勲章を欲しがるのですが、こういう人たちは勲章を方便に使おうとするわけです。
社会では、道徳も方便に過ぎないのです。
思想より、そいつがどういうやつかがすべて
それに、「老人を敬うのは当たり前だ!」と言わんばかりに、ふんぞり返って若者の邪魔や嫌がらせばかりしていたら、時間が経って復讐されるのは当たり前の話です。
図書館の新聞を我先に読もうとする老人、なぜか若い人に肩肘張って張り合おうとする老人、自分の姿が見えていないようで、傍から見てもみっともない限りです。
やはり、自分になにが出来るのかを日頃から考えておくべきでしょう。
因果応報にはどんな道徳にも逆らえないものであり、どんな価値基準よりもそいつがどういう人なのかという原則が優先されるというのは事実でしょう。
年寄りに優しい日本社会でしたが、今後はこういうのを甘く見ないほうが良いです。
私も道徳は大事だと思うほうなのですが、近年は弱者が優先される利権を逆手に取って権利ばかり主張する弱者利権が強くなっているので、今まで世間でよく言われてきた話もどうかなと思っている次第です。
私も「うるさい子どもは注意すべき派」なのですが、子どもの楽しみを奪ってまで要求するというのは違う気がします。