最近ではSNSは無料のほかに、有料のオンラインコミュニティも増えてきていますが、SNSを使うことによるメリットばかり言われています。
たとえば、仲間が増えるとかコネが作れるといった感じです。
しかし、自分自身での経験も含めて個人的にはかなりデメリットも多いなと感じています。
もちろん、振り返れば様々な場面において、こちらに非があることもあったとは思います。
ただ、それ以上に自分自身が、なぜ不利益を被ることになったかを理解できないまま、不遇に陥っている時期もありました。
日常生活からすればとても不可解な現象が、ネットやSNSでは起きやすいのです。
なので、連鎖的被害を防ぐためにも、客観的な話としてSNSとはどういうものか、ということについて書いていきます。
1から5まであります。
長くなりますから、少しずつ読んでください。
1.
まず、大前提ですが、人生に余計な仲間やコネは必要ありません。
いわゆる「筋の悪い」人間関係が出来やすいのが、SNSの欠点です。
とくに有料コミュニティでは、人材の質の高さを宣伝文句にしているところが多いです。
主催者側からすれば、「広告と会員費支払のハードルでスクリーニングがかけられているからお得」という主張です。
しかし、実際に蓋を開けてみると、当たり前ですが目標も目的もバラバラです。
さらに、そういう雑多な場でのコミュニケーションには日々負担がかかります。
ギャラリーを含めた上で、なおかつ第2者、さらに第3者までを意識したコミュニケーションを、当然ですが日常生活で人はしません。
「話をするついでに、多くの人が聴いていることをも想定する」ことを、人は普段から想定はしないのです。
2.
おまけに、各種文脈に対するリテラシーや各々の能力なども多種多様ですから、話が通じないことは必ず生じます。
これは構造上避けられないと言って、過言ではないでしょう。
Aという意図で書いたのに、BだのCだのDだの…おまけに人格批判みたいな話で返してくる人まで様々です。
これらの人たちを説得するのは不可能です。
当然ですが、ネットですから、思い込むのは向こうの勝手です。
中には頭のおかしな解釈をして、突っかかってきたりする人が発生します。
なので、責任ある建設的コミュニケーションはネットでは不可能です(これは必然です)。
こういう状況がずっと続くのがネットですから、当たり前ですが、実は相当の負担になります。
要するに、疲れ切ってしまうわけですね。
ゆえに、いつの間にか労力が分散してしまい、知らずのうちに本来の活動のパフォーマンスも低下していきます。
3.
それに、そこで活動をいくら頑張ったとしても、当然ですがほとんどの場合において、しょせんはそのコミュニティの中での話に限ります。
また、SNSには無料有料問わず、かならず不愉快な書き込みや悪口が存在します。
表現方法とは別に、人を誂ったり茶化すような愉快犯がどこでも存在します。
「ウチは質が高い」と謳っているところでも、必ず存在します。
あるいは、文面とは違う解釈をしてきたりする人も、一定数います。
たまにですが、人を見下して気持ちよくなっている人畜が存在します。
あるいは、「人より○倍努力した」など、下らない自己基準で自慢話ばかり繰り返す大したことのない連中…など、SNSでは枚挙にいとまがないです。
さらに、人には他人の事情を覗き見したいという下世話な欲望があるため、想定外に余計な付き合いを強いられることになります。
要するに、普段なら関わらなくて良い人たちと、余計に関わらないといけなくなるわけです。
「どのツラ下げて話しているんだ」という調子で、もううんざりしてしまいますよね。
SNSでは、哀しいことに、とくにこの手の人が非常に目立って活動的です。
一昔前ならともかく、今となってはSNSはリアルなんかより、よほど手間がかかって面倒かつ厄介なわけです。
そういうところに気を取られてしまうと、また時間の無駄が増えるだけです。
4.
あと、間違ってほしくないのは、「SNS=世間、社会」とは思わないということです。
当たり前ですが、ネットはネットであり、SNSはSNSというだけです。
実際にリアルであってみると、大人しくて何も反応がない人ばかりだったりします。
「私はリアルでも同じ」とSNS上で言っている人に限って、どんなやつかと思えば、非常に大したことのない、呆れるような人だったりもします。
誰かを否定しているわけではなく、総じてこういうものです。
なので、ネットとは所詮その程度のものだと思ってください。
必要以上に思い込ませるような発信にあふれていますが、本当にその程度です。
考えてみれば分かると思いますが、PCやスマホに向かって、日々書き込んだり話しかけたりしている人たちです。
そういう風景を想像すれば、ちょっと哀しくなってくる…と思います。
日常生活で、SNS上によく見かけるような「失礼な連中」はいません笑
ゆえに、あなたが勝手に一方的な妄想を膨らませないようにするのも大切な防衛策です。
5.
SNSで特有の「浅い付き合い」が増えてしまうと、焦点が非常に分散しやすくなり、何をしているのか分からなくなくなりやすいです。
時間だけが過ぎて、気がついたら何も残らない…という場合が、往々にしてあります。
また、SNS主催者側からも、「無意味に浅い関わりのある状態で参加者にいてもらうこと」こそが、利益獲得から考えて理想的な状態です。
こういう面を考えれば、必ずしも世間でいわれているほどのメリットはないようにも感じます。
あまりこういうことを書きたくないですが、残念ながら事実なので仕方がないですね。
もし、あなたが運用代行でもしてもらえる環境にあるなら、それも一手でしょう。
この辺は冷静に見極めたいところですね。
以上長文になりましたが、自身の経験から言えることはこの辺です。
当然ですが、あくまでも特定のSNSや個人を指して言っているのではなく、客観的な話として書いています。
何度も言いますが、特定の誰かや特定の組織を蔑む意図で書いていません。
SNSはいくらでも発信できてしまうがゆえに、濫用すると徐々に自身の認識がおかしくなってきます。
自身が狂っていることを察知できないのが、ネットの厄介なところです。
ネット自体に酒やタバコと同じく、強い中毒を起こして精神を蝕んでいくような側面があります。
極力控えようとするくらいで丁度良いのかも知れません。
【まとめ】
有料無料問わず、どんなSNSでも…
①人によってリテラシーや能力は様々で、話は通じないと思うべし
⇒社会では当たり前の、責任ある建設的コミュニケーションはSNSでは不可能。可能な前提で、やり取りをしないこと。しょせん、ネットはネット、SNSはSNS程度と常に割り切っておくこと。心得ないと、過剰反応や煽りの応酬になり時間の無駄になる。また、そういうことを少しでも発信している人とは極力関わりを避ける。
②管理が行き届いていたとしても、必ず自慢話や人格非難の温床になる
⇒社会では絶対に出会わない低いレベルの人(社会的立場や属性にまったく関係なく、ネットリテラシーという側面で)が、SNSでは出てくる。リテラシーが低レベルだからといって、悪人というわけではないが、自身の発信が必ずしも分かってもらえるとは思わないこと。どんな人でも、誰でもいつでもアクセスできるのがネットなので、これは仕方がない。
③社会とはまったく違う行動が発言が連発する
⇒実際に会ってみれば取るに足らない人ばかり。ネットで発信力がある人ほど、会うと大人しい人が多い。逆に、ネット上での印象を真に受けるあまり、不毛な怒りや正義感から一方的妄想を不必要に膨らませないこと(これは、むしろ大人に結構多いです)。そういう空気感には惑わされないこと。
他人を見下しているわけでは決してありませんが、ネットやSNS上では割と真実です。