忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

いじめは闘いたい闘争本能を集団でごまかしている代償行為

いじめをするやつが子ども大人問わずいます。

私は綺麗事を言いたいわけではないので、あらかじめ断っておきます。

いじめは競争が不十分な状況で起きます

競争が厳しければ厳しいほど、当然いじめなんてやってるヒマがありません

いじめを起こすのは、自分が競争を免れている割には、本人が不当な結果を得ている場合です。

不当なズルをしている人が、自分自身の後ろめたさで起こしてしまう場合が大半です。

「いじめがなくならない」と言っている人がどういう人かを、よく観察してみてください。

あなたは、実はそういう連中の言葉を真に受けて、「いじめがなくならない」と思い込まされています

人には闘争本能がありますが、それと向き合わない人はちゃんと勝負ごとに取り組まずに、ルールの端を縫うようにして利益を得たい。

こういう人がいじめに走るものです。

なので、私はいじめより喧嘩を推奨しています

喧嘩は闘争本能をフェアに解消させる良い手段ですし、現代なら格闘技がそれに当たります

格闘技がなぜあそこまで人気になるのかと言えば、あれが人間の本来の姿だからです。

なので、いじめを推奨する人は人生でとても損をしているなと私は感じています

いじめは闘いたい闘争本能を集団でごまかしている代償行為だからです。

やりたいと思ったら、きちんとやりたいこととして昇華してみましょう。

「人と争うのは良くない」のは、「争うところまで争い、明白に決着がついたあと」だけです。