最近は、やたらに重罰や厳罰を求める声が大きくなるようになりました。
特に彼らが関係しているわけでもないのですが、そこにマスコミが輪をかけて増幅するため、非常に無視できないレベルの意見が作られます。
あまりに圧力が強いため、量刑が減らされることも起きるようになりました。
民主主義である以上、民意は確かに無視できない声です。
ただし、民意が間違っていることも非常にたくさんあります。
たとえば、「性犯罪者を死刑にしろ」みたいな声です。
これは一見正しそうなのですが、実は間違っています。
特に被害に会いやすい女性はこのような声を上げがちですが、仮に性犯罪者を死刑にしてしまうと、証拠隠滅のため性犯罪被害では留まらないことになるでしょう。
将来的に犯罪をする人が仮に出たとした場合、「どのみち死刑になるなら、さんざんレイ●した挙げ句、ブッ●してしまえ」となるからです。
ということで、「正しい民意」ならばともかくとしても、司法が「間違った民意」ばかりを反映しすぎると、現代中国のような人治国家になってしまいます。
「みんなが死んで良いと言うから死刑」となりますから、「一番偉い人が死刑と言ったら死刑」ともなり得るわけですね。
国民全員が、スッキリすることを目的にしてしまうからです。
このような感情優先の社会において、人気取りのために、明確な理由なくフワッと良さそうなことを言う人が目立ってしまうのは、まさにSNS時代の象徴とも言えます。
政治やビジネスでも、なにかにつけては陰謀論を語り、人を騙して金を無心しながら人気取りをする人が目立ってしまっています。
統一教会についても、基準を明確にせずひたすら騒いでパージしようとしていますが、そもそも近代民主主義国では、国民一人一人が単純で一様な民意や世論のみで判断しないことが何より重要です。
国民もまずその前提を理解していない限りは、どんなにわめいて騒ごうが、議論に値する価値がないです。