忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

絵描きはとにかく言葉が大事。

絵描きはとにかく言葉が大事という話です。

敬語を使えないなどは論外ですが、話す順番がおかしい、話の中での言葉の定義があいまい、珍しい言葉をいきなり使って注目を浴びたいなどと、絵描きは何かと言葉が不得手な人が多い印象があります。

そういう中でも、特に私が今回取り上げたいのが、「言ってはならないことを言ってしまう人たち」についてです。

SNS時代で誰でも気軽に発信できるようになったがゆえに、非常にこういった人たちが散見されるようになりました。

たとえば、「絵描きなんて大した人間じゃない」「マトモな人は、絵描きにならないで医者にでもなっている」みたいなことを言っている人を、絵描き界隈ではよく見かけます。

しかし、誹謗中傷問題で今有名になっている小説家さんは、格闘技大会でも優勝している医者だったりします。

たとえば、「結果を残せなかったらみんな一緒」と人は言いがちですが、個人ごとにハードルの高さや質には大きな差があります。

たとえば、受験の話で言えば、必死に何年もかけて東大など難関校にチャレンジした人と、数ヶ月だけ適当に勉強してどうでもいい偏差値50程度の大学に落ちた人を一緒にできるはずがありません。

スポーツで言えば、銀メダルと予選敗退が同じと言っているようなものでしょう。

人は、賭けているものの重みも、捉え方も、見えている世界もまったく違うわけです。

ところが、頭の悪い絵描きたちは、何かとこれらを一緒くたに語りがちだなという印象があります。

要するに、「絵描きなんて大した人間じゃない」「結果を残せなかったらみんな一緒」という言葉には、そうではない人、一緒ではない人たちも、たくさん含まれているのに、不特定多数の人たちを自分勝手な言い切りやもの言いで、傷つけてしまっているのです。

そもそも「大した人間じゃない」などと言われて、腹が立たない人はいないと思います。

ですから、こういった人たちが他人に好かれるはずはありません。

場合によっては、恨みを一方的に買ってしまい、危ないことに巻き込まれるリスクさえ自分で上げているのです。

つまり、こういう人と関われば、事件の巻きぞえにされてしまう危険すらあるのです。

そして、当然ですが、悪いのはこういう言葉を言い放っている、この人自身です。

ということで、人の注目を集めようとするあまり、過激な言葉を使ったり、タメ口を聞いたり、適当に言い散らかしたりしている人は、信用されることは金輪際ありません。

画力のみならず画作り、絵の企画営業…という部分よりも、はるかにそれ以前もいいところの話なのです。

まず、十中八九そういう人に仕事を頼みたいとは思いません。

強い言葉で押し付けがましく主張するというのは、「品性下劣」という印象が強くなる一方です。

絵は「キレイなもの」「元気が出るもの」「気分の良いもの」…といった感情を売る仕事です。

絵がどうこう…以前の話なのです。

エンタメという括りで考えても、「面白い」ということの、だいぶ前にクリアしなくてはならない事がたくさんあるのを、知らない人が多いみたいですね。