人間は錯覚を何かと起こしがちです。
自分はまともな方だと思っている人ほど、案外、重大な錯覚を起こしているものです。
①
「いわゆるオタク文化や萌え絵は市場から排除されて一般化した」みたいな話です。
実際には、10年以上前の「濃い文化」を続けている場所は、ちゃんとネット上には存在しています。
つまり、特に消えたわけではないのです。
しかし、商圏拡大に伴い、一般層に向けた作品の方が目立つため、相対的に排除された「ように」見えているだけです。
頭の悪いフェミニストたちは、これが排除の流れだと勘違いしますが、これは錯覚です。
要するに、市場のパイが増えて包摂範囲が拡大した=エリアが増えたというだけの話なのです。
ちなみに、最近よく聞く「AIが絵の仕事を…」みたいな話も、実は市場拡大における需要拡大というだけの話なので、仕事は増えるだけです。
つまり、錯覚に当たります。
②
人は自分の過去を否定したくないものです。
なので、新しいものを必ず否定しないと気が済まない人が、かなりの割合で存在します。
たとえば、自分が過去に教わってきた技術を絶対視するあまり、それ以外の考えを邪教扱いするなどは典型です。
政治でも宗教でも、このような分派、分家が歴史的にも多数乱立してきました。
しかし、本家も含め、無くなることは珍しくありません。
つまり、正当な技術、歴史的文脈…などということに、人間はあまり関心が無いのです。
関心がないものを関心があるかのように思い込むのは、錯覚に他なりません。
錯覚を起こした人は、なぜか偉そうにふん反り返ったり、人を悪どく騙して金を取ることに躍起になったりします。
③
人は事実より気持ちが先行しやすい生き物です。
気持ちが事実認識を捻じ曲げていることに気付ける理性を育てることが、公教育の実際のところの目的だったりします。
ところが、多くの人は義務教育課程の勉強すらまともにできないまま社会に出てしまいます。
なので、「お前がいると何となく気分が悪いから、お前はどこかへ行け」などということを、なんの悪びれもなく他人に向けて言い放つことが出来ます。
この手の人は、実に世の中にたくさんいます。
ネットで騒ぎになったときに、一言言ってやろうみたいな連中は、だいたい例に漏れずそのレベルの連中です。
つまり、精神的に小学生レベルなのにも関わらず、文字はそこそこ書けてしまうせいで、良識のある大人ヅラをしようとするのです。
しかし、肝心の頭の中身がとてもバカなので、バカがすぐにバレます。
つまり、指摘されることで、恥をかくことになります。
ところが、この人たちは、非常に頭が悪いせいで、自分の過ちを素直に認められないのです。
というのも、頭が良ければ素直に過ちを認めて、すぐに改善を提示するはずだからです。
というわけで、SNSがバカ発見器と呼ばれるのはそういう理由であり、多くの人はバカのくせに自分はマシな方だなどと思い込んでいるのです。
これも錯覚なのです。
ということで、3つの錯覚を指摘しましたが、世の中には人間による錯覚にあふれています。
たとえば、弁護士が法律について何でも知っている…訳ではありません。
「全法律の1%でも知ってたら良いくらいだ」などといった噂も耳にするくらいです。
陰謀論も、いわば人の錯覚による娯楽に過ぎません。
人が錯覚に酔っているうちは、まっすぐ進むということはありません。
勢い余ってアクセルとブレーキを踏み間違えて、コンビニに窓ガラスを割って入店してしまい、結果として刑事罰を受け、賠償金まで払うハメになる老人たちのようになる前に…、気をつけて直しておくべきところですね。