頭が回る人、特に理科系の人にありがちなのは、「抽象化をして『要するに〇〇でしょう!』と得意げになる」ということです。
だいたい、「要するに…」みたいな言葉が多い人は、この手の人が多いです。
というのも、実は…私こそが「抽象化の権化」みたいな人間であり、なんでもすぐに抽象化する体質なのです。
ストレートに相手に物を言ってしまうのは、要するに無意識に抽象化してしまっているからです。
私は、悩むヒマなく、脊髄反射レベルで抽象化処理が終わるのです。
なので、抽象化すると良くないことが起きることも、実はたくさん経験しています。
たとえば、抽象化処理を得意げに人前で披露していると、確実に人に嫌われていきます。
嫌われるというのは、意図的にするなら良いときもありますが、大抵はあまり良い結果には結びません。
もっとも、私は嫌われてもかまわないので良いんですが、多くの人にとって良くないことには変わりないです。
また、抽象化しないほうが良いものも世の中にはたくさんあります。
たとえば、「移動手段なんて全部個人所有のパワードスーツにすれば良い」みたいなことをこの手の人は言いがち(私も常に思いつきますが…)です。
しかし、これを「分からないお前らは愚民である」と言わんがばかりに公然と言ってしまうと、なかなか痛々しいものがあります。
すでに、動いて整備されているインフラが多数あるのに、なぜそれらを無視してパワードスーツにすべきなのかの理由説明や説得力にはとても欠けてしまうのです。
もちろん、そういった発想が悪いとは言いません。
ときには、「大胆な発想と決断」は社会にとってとても大切です。
しかし、だからといって、それが整合的であるかどうかは全く別の議論、問題です。
ということで、抽象化はアイデアや捉え方の補助やきっかけにはなりますが、それだけではなかなか苦しい感じになります。
また、あえて抽象化せずに、ひたすらじっくり取り組むことでしか得られないこともたくさんあります。
人生では、こちらのほうが、抽象化よりも面白いこともかなり多いです。
本でいうと、寺田寅彦『科学者とあたま』などで、似たようなことを書かれていますので、ぜひ読んでみてください。