忍びの日記

絵の思考法から世事評論まで、忍者が斬る!

「暴力を肯定すべきでない」のウソ

「喧嘩両成敗」は殿様が有利だから

喧嘩をしたら、喧嘩を売った買ったに関わらず処罰する。

これは一見美徳のように語り継がれていますが、実際には責任の所在を有耶無耶にして、それを成敗した殿様が一番偉いという形で治めるものです。

戦が止まらなかった中世ならともかくとしても、現代でこのような考え方は見当違いです。

要は、バカほど「喧嘩両成敗」を美徳とするということです。

 

「暴力は報復のみ許される」とすべし

仮に無際限の報復を許可すれば、反撃が怖いのでみんな攻撃できなくなります。

例えば、例えば非核条約があるにも関わらず、多くの国は核兵器保有、また保有したがっているとおりです。

自分から核兵器を打つのでは糾弾されるわけですが、仮に襲撃の報復として打ち込んだとして、それは非難に値しないという考えを、どの国でも持っているわけです。

大山倍達が、日本中の国民が空手の有段者なら、世界は日本を襲わなくなるので平和になると言ったとおりです。

暴力を否定して平和になると左翼は教育しますが、これは間違いで、徹底的で圧倒的に強大な暴力の前に、人は大人しくなるというのが真実です。

日常生活でも、格闘技が出来る人に喧嘩を売る人はほとんどいない通りです。

例えば、日本が高性能な核兵器を開発すれば、他国は侵略を諦めます。

 

コラム 一番効率の良い教育

子どもを教育するときに、一番効率良い方法を教えましょう。

たとえば、いじめをした子を捕まえて、先生が見せしめに殴って殺します。

そうすると、クラスのみんなは怖くなって、二度といじめはなくなります。

本能には本能で教えてやれば良いだけの話です。

大人に逆らうと殺されるという恐怖を植え付ければ、教育効率は最大化されるので、生き残った他の子たちはみんな幸せです。

1人殺して他は幸せになるのだから、結果は最大多数の最大幸福です。

実は、これが古来から世界のどこにでもある「生贄」というシステムです。

これは最も効率は良い方法ですが、もちろん今の社会でこれを教育と呼んで良いものではないどころか、単なる犯罪になるのはご存知の通りです。

人権に反するので、絶対にダメですよね。

ところが、社会はこういう形ではなくても、ネットSNSで今宵も生贄を探しては、人民裁判公開処刑を日夜繰り返しているではないのでしょうか。

人類の本質は、石器時代から何も変わっておりません。

理性で説いて分かる人なんてほんの僅かで、人間の大多数は圧倒的な暴力の前に屈服するというだけです。

どんなに時代が変わっても、やはり変わらないことがあるのです。