批判や批評に興味がある人はいません。
自分の言葉で簡潔に意見が言えないタイプの人で、屁理屈が得意なタイプに批評や評論好きは多いです。
批評家や評論家は、それこそ偉そうに椅子にふんぞり返って小うるさく語るわけですが、確かに若干はその手の人に若干の需要があるのは事実です。
しかし、世間のほぼすべての人にとって、聞かされるだけ腹立たしさや怒りが貯まるだけです。
批評を通じて語るみたいな話で、作品やクリエイターにマウントを取れると勘違いした哀れな人がいますが、それは大きな勘違いです。
まず、戦後の日本で言うなら、平成初期までの批評文化は、おおむね二次創作市場に取ってかわられました。
二次創作もある種の批評ではあるのですが、やはり自分の手で作品として仕上げていく過程で、著者自身の考察や主張もそこに入ります。
あと批評するより、自分で作る方が生産的で楽しく、多くの発見もあり、仲間も見つかりやすくなります。
アニメやマンガにおける二次創作市場は大きくなり、そこから一次創作にスピンアウトする例は多いです。
しかし、残念ながら、批評がそうなった例はほとんどないです。
このように、その先の道があるかないかは、人が集まるかどうかに強い影響があるのです。
ということで、批判や批評に興味がある人はいないことは知っておきましょう。
人は人がどう思うかに興味はありますが、理屈には興味がないのです。
「そんな批評をするくらい好きなら、自分で作れば呆」となりますよね。
映画の批評でウケている人もいなくはないですが、それは10年前までのブームです。
今は作品を鑑賞するのに時間がないから、先に要約だけ見て知っておく、みたいなショートムービー的な活用がほとんどです。
とはいえ、今だとユーチューブなどで短尺の要約動画が見れる時代なので、わざわざ文章や講演にアクセスする人がいないのが現実でしょう。