「子供の声≠騒音」法制化も視野について。
子どもの声は騒音ではないは、極論ではないかと私は思います。
その辺の子ども素人親とは違い、プロで15年やってきた私からしても、子どもというのは何をするかわからない、多分にうるさいと感じるときはたくさんありました。
うるさいときはきちんと「うるさい!」と怒鳴ってあげて、しつけをするのも必要です。
法制化されてしまうと、今度は「子どもがやることだから何でも許せ!」となってしまいます。
つまり、「子どもに対する理想論」ばかりが先行しすぎており、現実がまったく無視されているのです。
現場経験のプロとして言わせてもらえば、これでは非常に恐ろしい結果を招くことになります。
社会空間に子どもを許すのなら、大人がしつけをする権利や、うるさいときに対処する権利なども無ければ、 手のつけられない「モンスターチルドレン」になるだけなのです。
たとえば、大企業で重要決定をするような会議に、子どもを入れるなんてありえないわけです。
「子どもの声が騒音」は事実なのです。
しかし、仮に「それでも」一定の社会空間に子どもの出入りを許すというのならば、どんな大人からも、その子はしつけをされる義務がないといけないです。
これが条件になります。
日本はドイツとは歴史も文化も大きく異なります。
まず、しつけにも体力とコストがかかりますから、どんな場面でもちゃんとした人にしつけを受けられるわけではありません。
つまり、相手がどういう大人であっても、子どもはしつけを受けてそれに感謝する義務がある。
そういうふうに私は考えています。
私は、どんな他人の子であろうが、遠慮なく大声で怒鳴りつけることができます。
プロでやってきた私の意見ですが、子どもであろうが大人であろうが、とにかく「ナメられたら終わり」なので、その場でカタワにして病院送りにするのではないかという殺気を込めて怒鳴りつけます。
子どもというのは半分は動物と同じですから、統御するためには動物的かつ本能的な威圧は必須になります。
幸いなことに、私はガタイが良い格闘技経験者ですから、子ども程度にナメられたことは一度もありません。
見た目がなくとも、子どもに対する圧倒的な怒気や殺気は現実的には必須になります。
「モンスターチルドレンもいるであろう空間を、圧倒的な威力を用い制圧する」というのは、現場者としては必須技術になるのです。
これが、プロとして必須の「子どもを叱りつける技術」です。
私が15年のあいだに、プロとして身につけた技術です。
ドイツではこういうものは想定されていないでしょうが、日本は社会観が違います。
日本は「子どもは叱られなかれば学ぶことがない」という価値観です。
もし、「子供の声は騒音ではない」を法制化するのであれば、「どんな大人からでも叱りつけられる義務がある」というのは必須になると考えます。
そうでなければ、単なる「モンスターチルドレン」が社会に増えて、少子化は余計加速するでしょう。
もし、そういうふうにするのが嫌だ、良くないと考えるなら、法制化するべきではないでしょう。
どちらを選ぶかですが、いいとこ取りは出来ないというのは言っておきたいことです。
「どこの馬の骨かわからない大人に自分の子どもが理不尽に叱られるのは耐えられない」という親は、想像以上に多いですからね。
どんなにロクでもない風に見える人でも、たいていの大人は子どもに間違ったことは言わないのが日本という国なのですけど、それが許せないと憤る謎思想の富裕層?も多いみたいですので。