2次創作が肯定されるべき理由
2次創作がグレーだが肯定すべき根拠として、「クリエイター育成」や「文化の振興」という観点があります。
まず、著作権法の保護法益は著作者のお気持ちではなく文化の発展なので、「原作者が絶対」論は穿ちすぎです。
原作が絶対で他は二次創作だからどうでも良いというのは、本来の著作権法の目的に反します。
この辺は雑に議論を進めるべきではないです。
すべての創作は「模倣」からはじまる
創作とは、1次2次を問わず、すべて何らかの「模倣」によりはじまります。
当然、リスペクトは大切だが、一方で著作権侵害を強く訴えることは創作行為の否定につながります。
とくに、昨今のネットやSNSの2次創作への否定意見はどうにかすべきです。
表現の自由は憲法で規定されており、表現活動が萎縮するのは望ましくありません。
これは、ネットの私刑(ネットリンチ)も同く憲法で禁止されており、厳しく取り締まるべきです。
しかし、ネットの無知なバカどもはこんな話はとうてい理解できないわけですから、本来ならば彼ら彼女らに日本国籍は与えるべきではありません…。
権利ばかりが大切なら1人でやれば良い
そんなに原作者が絶対なら、原作者だけで出版すれば良いわけです。
今は、ネットやユーチューブなど各種発表媒体があるので1人でやれば良いですし、若いクリエイターはそうして「1から」表現活動をしています。
しかし、なぜ出版社を通して自身の作品を出すのかと言えば、それは当然「もっと知ってほしい」だったり「もっと利益を出したい、売りたい」という欲求や目的が原作者にあるからですよね。
そこを隠し、「原作の利益が」「著作権が」と言うのはやはり卑怯です。
結局のところ自らで出版できていない以上、関係者各位に配慮することって、少なくても一般の産業では当然のことでもあります。
言い方悪いですが、「みんなの利益のため」という選択より「著作権ばかりを主張」する作家たちは、「自身の身勝手さや社会性のなさ」を誇示しているようにしか見えないし、だからこそ出版社やテレビ局は作家に強く当たるという悪循環を、作家自らが招いているようにすら見えてしまいます。
体育祭に参加しているのに、「体育が嫌いだから種目に参加しないで走らない」「だって生徒にも人権がある」みたいな言い訳をする子どものような身勝手さを感じてしまいます。
パワハラはなくすべき
一方で、出版社と放映局が手を組み、「映像化しろ、さもなくば打ち切るぞ」「内容について文句を言うな、さもなくば打ち切るぞ」みたいに、打ち切りをチラつかせて作家を黙らせている事実があるかもしれません。
これは、利益相反であり、原作者の権利無視は犯罪行為です。
出版社の編集部は、テレビ局に「原作はいくらでも好きにして良い、うるさいこと言ったら黙らせてやる」と伝えつつ、作家に圧力かけて、勝手に話を進めることはできるわけです。
こういう権力を背景にした片務的取引は今すぐやめるべきでしょう。