若い頃の才能がある人はいる
勉強でも芸術、絵でもそうですが、物心ついた頃から天才のように吸収する人はいます。
たとえば、私の経験で言えば、学習塾の同級生が「ノートを取らずとも、話を聞いて黒板を見ただけで暗記してしまう」という特殊にも思える能力を持っていた人がいました。
私が10歳くらいの頃で、すでにそうした能力を身に着けているわけです。
当然ですが、そういう特殊に近い才能を持っていますから、彼は私より偏差値が20高かった(大手塾の全国ランキングに掲載されるレベルの学力)のです。
このようにほぼ生まれに近い段階から、超能力のような才能や意欲(これは、出来るからこそ意欲が高い)を持っている人がいます。
絵でも、「授業の合間にひたすら落書きしていて、若い頃からすでに上手い」みたいな人がいます。
しかし、こういう人を天才と呼んで良いのか疑問ですが、そういう人がいるのは事実です。
若い天才は、早熟にして朽ちるのも早い
しかし、若い頃に天才と思わしき人にも、やはり弱点があります。
ちょうど大学受験の頃に、この早熟の天才と邂逅する機会がありました。
私はその頃の彼を知っていたので、私よりも圧倒的に成績が上回っているのだろうと内心では思っていましたが、実際には総合成績では私のほうが上回っていました。
なぜなのだろうと思い、聞いてみたところ、「そういう能力を使っていたが、それでは太刀打ちできない」「興味本位に勉強するのでは限界がある」という回答でした。
つまり、その早熟の能力に甘えてしまったあまり、知識や技術を積み上げて、コツコツ努力するという選択肢を、彼は持てないまま歳を重ねてしまったのです。
絵も同じですが、「描いてる時間が長く、描くのが何よりも好き」…。
そんな程度の才能では、後発組にもボロボロに負けていくのが現実なのです。
上達するなら天才=才能があるということ
ここで注意したいのは、もちろん私に才能がないわけではありません。
最終的に、私は試行錯誤やトレーニングを幾度となく重ねることで、彼を抜くことが出来たという話です。
なので、もしかしたら、私のほうが勉強については才能があったと言えるかも知れないわけです。
喩えるなら、悟空は戦闘力が低かったものの、修行のやり方を身に着けた結果、ベジータが勝てなくなったみたいな話だと思います。
だから、悟空は秀才(賢さを活かして能力を上げる)だとか、根性(体力を活かして積む)…があったと呼ばないでしょう。
しかし、才能というのはそうやって多様な角度のものが存在します。
要するに、彼を抜いたのだから、やはり私も勉強に関してある種の天才だったと思います。
たとえば、過去の経験を今に活かす能力は高いのかも知れません。
そして、私も例に漏れず、生まれの地頭が途轍もなく良いです(小さい頃から、抽象的思考は非常に得意でした)。
天才、つまり才能があることはやはり最低条件です。
トップにいる人は1つの才能だけではない
もし、向上心があるなら、先人の言う「諦めが肝心」だとか「才能が無い」みたいな話を聞いたとして、決してそういうことを思わないのが大切です。
というのも、「どうせ才能だよ」と私も言うときがありますが、人には何の才能があるのかはわからないです。
ただ、トップに君臨し続ける人は、勉強でもスポーツでも芸事でも例外なく、高い国語力、言語化能力、情報整理力だったり、基礎能力や認知能力が高い人ばかりです。
これは、必ずそうなのです。
つまり、「若い頃に天才と勘違いできるだけの才能」程度では、こうした競争に勝ち残ることは出来ないです。
逆に言えば、若い頃の天才は、極めて早熟に終わることが多く、それだけ不幸も多くなりやすいのです。