禅問答は古代ギリシャで議論済みの話題
よく物事の理屈を立てて考えたがる人がいます。
これを続けると、たまに禅問答に陥ることがあります。
禅問答で止まればいいのですが、厄介なことに人に禅問答を押し付けたがる人もいます。
私も小さい頃からよく禅問答になるまで考えていたタイプですので、気持ちは分かるのですが、ある時に気付いたことがあります。
それは、古代ギリシア哲学などの古典に、その内容や論理構造がすべて書かれているということです。
禅問答は時間のムダなので、古典を読もう
私は古典を読むのが好きですが、理由として「人間、人類の考え(哲学や思想)」は、すべて古典に詳細に記述されています。
つまり、紀元前3世紀とかに結論が出ているのです。
もちろん近代思想も学べば、それらの延長になっていることが理解できます。
哲学や思想というのも、脈々と受け継がれている歴史で、自分が考えたことはだいたい昔の誰かがすでに考え尽くしていて、残されているわけです。
なので、禅問答をはじめる前に、古典を読んだ経験があると、すぐに同じ議論に終着させられます。
多くの人たちがウダウダ数時間かけて考えているようなことを、秒殺できるんですね。
私のように、ここまで調べている人はほとんどいないと思いますが、もし人文科学に興味がある人は、こういう作業、つまり世の中や他人の言っていることの問題が、過去のどの話に結ぶのか探求してみると良いです。
なので、禅問答をするくらいなら、さっさと古典を読みましょう。
禅問答と呼ぶと高尚そうですが、その内実は「車輪の再発明」であり、調べたほうが早いです。
私は内容を大体覚えていてすぐ思い出せるので読まないですが、人生でまだあまり読んでいない人は読むと良いでしょう。
結局のところ、どんな場面であっても、国語力がものを言います。